主観的な思いと、メタ的な考えについて(あるいは『こころとあたま』について)

これは例え話なんですけど、「企業の管理職や社長、政治家のような指導者層が男性ばかり」という点でこの社会が女性蔑視的だと言われても、“そんなん上位のエリートの話でその文句を庶民に言われても…”と思っちゃうし、
「男性が制度を作るから男性に有利な社会になる」とかも、上位層の男性がどれだけ女性に甘いかを身をもって知ってるので、“そうかなあ…。むしろ女性の上司の方が部下の女性に厳しいという話をよく聞くけども”みたいに主観的には思うんですよね。

でも、逆の立場で考えたら、政治家も会社の上の方も殆ど女性の社会だったら、確かになんとなく息苦しさは感じるだろうと思うんですよね。そのことを訴えても「いや結構上位層の女性は男性に甘いよ」とか言われたりして、“いやいや、そういう話じゃなくて!”って。
そもそもそういう「女性は男性に甘いよ」みたいなのが女性目線の話だろ! 社会全体がそういった目線に偏りすぎてんだろって話をしてるんだよって思いそう。


こういう、「主観的にはこう思う」ってことと、相手の立場を想像して、そっちの目線に立って考える「メタ的にはこう考える」って、どちらも大事だと思うんですよね。
(と書いたところでチャットモンチーの『こころとあたま』みたいだなって自分で思えてきた。あの曲のテーマと今回の僕の言いたいことのニュアンスは少し違うんだけど)

思ったことを言いっぱなしで相手の目線から見たらどう思うかをまるで考えられなければ、一方的な「お気持ち」になってしまうので、相手を慮ることがとても大切だと考えています。
でも、その上で、やっぱり、主観的に思ったことは言っていいと思っている。
それが、メタ的に考えたら相手を傷つけうることであっても、思ったことは言っていい。“不協和音を僕は恐れたりしない”し、“黙るってのは敗北だ 言いたいことを言ってやれ”って思ってるので。
もちろん、故意に傷つけたいわけではないので、言い方や表現は気をつけるべきだとは思うけど、でも誰かを傷つけるかもという覚悟を持った上でなら、思ったことは言っていい。そう思ってるし、そう考えています。

ちなみに、冒頭の例え話についてでいうと、解決するには「正しいことをしたければ偉くなれ」しかないのかなと思う。
現状のルールの中で、のし上がって「やってやる」という女性が増えていかないと変わらないし、それが積み重なれば自然と変わるものだと思う。

こういうことを言うと、「現状のルールを肯定している人しか上に上がらないからなにも変わらないのでは」と思う人もいるでしょう。
でも、最初はそうかもしれないけど、そうやってルールを作る側に女性が増えていけば自然と変わっていきますよ。それは絶対、確信のようなものがある。

パリテ方式のようなものは、過渡期としては仕方ないのかもしれないけれど、基本的に“能力も意欲もあるのに性別を理由にその役職に就けない”ことが最悪だと考えているので、それにつながることはなるべくない方が良いのではと思っている。
随分と現状維持を良しとするような考え方だって? でもこれで良いって話なんですよ。主観的に僕はそう思うので、そう言うよってのが今回のテーマなので。

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