見出し画像

「ごく普通の離婚」の場合でも共同親権制度の導入は子どものためにならない

 私は、地方都市で長年弁護士として、決して多くではありませんが、離婚事件に携わって参りましたので、意見を申し上げます。

 これまで共同親権者の制度導入については、多くの方々が問題点を指摘されておられますが、私が懸念するのは「ごく普通の離婚」の場合です。離婚するということは、すでに元夫婦間の信頼関係は崩壊していると言ってよいと思います。そんな元夫婦に様々な局面で冷静に、子ども最優先で、大局に立って、話し合いをせよ、と言っても、それはかなり難しいでしょう。そして、そうした、ともすると不毛かつ殺伐とした元夫婦間の議論の渦中に、否応なく巻き込まれ、精神的、経済的そして場合によっては身体的にも疲弊させられ、被害を受けるのは、結局子どもたちです。

 これまでの議論を拝見すると、いきおいDVとか虐待とかの場合が強調されているようですが(それはとても重要かつ深刻な論点ですが)、そのために「そうであるならば、DVや虐待の場合において配慮すればいいですよね」という話に流れてしまっているように感じます。上記のように離婚というものの本質、つまり元夫婦間の信頼関係の決定的な破綻(少なくとも私がこれまで携わった事件の大半がそうでした。)という点を直視するならば、DV、虐待事案への配慮は、そうした事案に対するだけの弥縫策にすぎないものです。多くを占めるであろう「ごく普通の離婚」の場合にすら、このような懸念が、共同親権というものには不可避的にあるのではないでしょうか。

 そして、そうした様々な局面での不可避的な停滞(多くの方々が既に指摘されておられる、子どもの進学とか入院・手術などが、共同親権者の一方が同意しないがためにスムーズに進められない、という事態)が、多発し問題化すると(おそらくそうなるでしょう)、大学や医療機関などにおいては、同意は監護権者のみでよいという取扱いに、ゆくゆくは変更していかざるを得ないと思われますが、それでよいとは言えません。そうした取扱いの変更には、おそらくかなりの時間を要することでしょう。その「かなりの時間」の間に、自らが志望する大学を受験できなかったり、必要な治療が受けられなかったり、受けられても遅れたり、という、場合によっては取り返しのつかない損害を被るのは、やはり子どもたちなのです。

 さらに離婚紛争の現場に目を向けると、現在の親権者争いは、イコール監護権者争いだ、と言ってよいと思います。どちらが子どもと日々暮らせるのかは、何と言っても切実なものであり、親権者となればすなわち監護権者として子どもと一緒に暮らせる、ということから、親権者争いはシビアなものとなっていると思います。

 共同親権者という、いわば「タイトル」だけを頂いて満足する人はほとんどいないでしょう。とすると、共同親権者と定めるとしても、当該離婚紛争は何ら解決はせず、現在の親権者争いと同様のシビアな争いが、今度は監護権者争いという位相を異にした舞台で続いていくだけということになるのではないでしょうか。

 このように、考えれば考えるほど、共同親権者の制度は、まさに「百害あって一利なし」であるとの結論に至らざるを得ないと考えているところです。
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?