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第4話 顔色をうかがうのが尊重ですか? 

「共同親権ホラー」は、共同親権の導入を心配する弁護士たちが創作したホラー短編です。

 娘を寝かしつけていたはずなのに、うっかり自分も寝てしまっていたみたいだ。不意にドアのあく音がして、「ひろみちゃん、ちょっといいかな」と夫が呼ぶ声で目が覚めた。いつ帰ってきたのだろう。不機嫌そうな冷たい声だ。
 「正広さん、おかえりなさい。一緒に寝ちゃってたみたい。」
 「ねぇ、この部屋の状況、どういうつもりかな。まず、洗濯物。たたんだまま床に置いてあるけど。」
 「あ、それは、たたんでたら、お風呂が沸いたから、まずお風呂に入って、あとでタンスにしまおうかなと思って・・・」
 「うん、わかった。じゃあ、今、タンスにしまってみようか」
 心拍数が上がるのを感じる。言葉は穏やかだけれど、これは命令だ。断れば、その理由の説明を求められ、黙れば黙ったで、黙った理由の説明を求められる。口論の末に従うか、今従うかの選択肢しかないのだ。私は、黙って、床に置いてある洗濯物を拾い上げ、タンスにしまった。

 正広は、私に、スマホの画面を見せて言った。
 「46秒。ひろみちゃんが、床に置いた洗濯物をタンスにしまう時間。ストップウオッチで計ってたんだ。お風呂に入る前にやれたよね。後回しにする合理的な理由ってないと思う。」
 「・・・。」
 「あと、この絵本はなに?」
 「今日、お天気が良かったから、葵を連れて図書館まで行って借りてきたの・・・」
 「見ればわかるよ。図書館のシールが貼ってあるからね。
 「・・・。」
 「この本のタイトルになんて書いてある?」
 「どろぼうがっこう・・・。」
 「うん。そうだね。どういうつもり?葵を犯罪者にしたいわけ?」
 「え?ちがう、ちがう。かこさとしだよ。葵ちゃん、『だるまちゃんとてんぐちゃん』がお気に入りだから、これも気に入るんじゃないかなと思って・・・。」
 「僕には、これのどこが楽しいのか理解できなかった。あと、『かこさとしだよ』って、どういう意味の言葉なのかな。自分は絵本作家に詳しいです、意識高い系ですっていうマウントを取りに来てますか?」
 「そんなつもりじゃ・・・」
 「そんなつもりじゃないなら、どういうつもりかな。『かこさとしだよ』って言葉は、僕との話し合いに必要な言葉でしたか?」
 「必要じゃありません。」
 「そうだよね。じゃあ撤回してくれる?」
 「余分なこと言ってごめんなさい。撤回します。」
 「分かればいいんだけど、いつも返事だけだよね。こういうやり取りをこの先、何度繰り返したら良いんだろうね」
 「ごめんなさい。」
 「『ごめんなさい』か。いつもそう言うけど、便利な言葉だよね。謝ればすむ世界。ひろみちゃんは、僕で幸せだよ。どんなに間違えても簡単に許される人生でうらやましい。はぁ。他にも言いたいことがあったけど、あなたとの会話に疲れた。気持ちを切り替えるために音楽を聴いてから寝るから、どうぞ、先に寝てて下さい。」正広はそういうと、ドアの方にむかって、「どうぞ」と言って右手をあげる仕草をして、私に、部屋を出て行くよう促した。

Ⓒ入れ子構造

 布団に入り、葵の寝顔を眺めながら、図書館で手に取ったマンガのことを思い出していた。そこには、モラハラから逃げた母親達の体験談が記されていた。「夫といるとどうしてこんなに苦しいんだろう…」話のすべてが私の体験と重なっていた。正広から受けるささいな注意は、ナイフのように私の心に突き刺さる。「ふぅー」と深呼吸をして、気持ちを瞬間冷凍してやり過ごしてきたけど、今日は、あふれる感情を受け止めたい。
 食事の支度、部屋の片付けや掃除、洗濯の干し方、たたみ方、仕舞い方。休日に何をして過ごすのか、家族の服や靴やかばんの購入、旅行の行き先、予防接種のタイミング、病院に行くべきか様子を見るべきか。家事や育児に関わることを決めること、計画すること、段取りすること、そのすべてが私の役割だけれど、私に決定権はない。「好きなようにしていい」と言われて、いざ決めると、「どうしてそれにしたの?」「それより良い方法もあったんじゃない?」「合理的に説明してもらって良い?」と質問され、何を答えればよいのか、正広の表情をみながら正解を探している。そういえば、私が決めたことで、一発でOKがもらえたことって、今まで一度でもあったのだろうか。
 学生時代には友人も多く、社会人になってからは仕事も充実していた。社交的で明るい性格と言われていた。あの頃の私はどこにいってしまったのだろう。ここ数ヶ月、正広からのライン、帰宅してドアがガチャリとあく音、朝起きてくる気配。それだけで、息が苦しくなり動悸がとまらない。葵と一緒にいれば気が紛れるが、ふとしたときに、自然に涙がこぼれ、「ふぅー」っと気持ちを瞬間冷凍する日常の繰り返し。

 正広の言葉が脳内にリフレインする。
 「こういうやり取りをこの先、何度繰り返したら良いんだろうね」
 私、頑張ったよね。もう、逃げよう。葵を連れて・・・。

 予想通り、離婚は難航した。正広は、「妻とは円満な夫婦関係だった。洗濯物が片付けていないことを注意したら子どもを連れて出ていった。だらしないうえに短絡的な母親であり、親権者として不適格だ。父母がそろって子育てした方が子どもの成長に良い影響が認められている。母子家庭で育つ娘がかわいそうだ。」と主張し、離婚を拒んだ。親権者として不適格であると裁判で責め立てられていても、面会交流は行わなくてはならならない。面会に応じないことが、親権者として不適格だと捉えられる可能性があるからだ。
 面会交流のたびに、「シャツの一番下のボタンが今にもとれそうでしたが、母親なら気づいてあげてください」「幼稚園で竹馬をやるそうですが、危ないのでやめさせてください」「ごあいさつがきちんとできないようです。どういうしつけをしてますか?」「つめを噛む癖があるようです。ストレスの少ない生活をさせてあげてください」「実家で食事をとるときがあるようですが、他人に頼らず、責任もって子育てしてください」「将来の夢を聞いても特にないと言っています。夢も希望もない将来しか描けない生活なのかと思うと不憫でなりません」「受け渡しの時にあなたが無表情なのが気になります。子どものためです。もう少し愛想良くできないものですか」などのダメ出しのメッセージが届いたが、裁判の書類に対応するのでいっぱいいっぱいだった。「ご指摘ありがとうございます。気をつけます」と返してやりすごしかなかった。

 1年間続いた調停では離婚が成立せず、裁判になると、正広は共同親権を主張した。弁護士からの書面には、こう書かれていた。
 
 ”父母は、婚姻関係の有無にかかわらず、子に関する権利の行使又は義務の履行に関し、その子の利益のため、互いに人格を尊重し協力しなければならない。原告と被告は、別居後の1年間、協力的に育児を共同してきた実績がある。被告は、長女葵のために、育児について気づいた点を原告に伝え、原告は、それを感謝して受け止め、「ご指摘ありがとうございます。気をつけます」などと返信してきた。離婚が避けられない場合でも、父母双方に親権が認められるのが相当である。”

 「協力的に育児を共同してきた実績がある?」

 私はどうすれば良かったのだろうか。ダメ出しの都度、反論していたら良かったのだろうかと想像する。しかし、もしそうしていたら、子どものことを考えて指摘したことを否定しかせず、人格を尊重していない、協力的でないと書かれたのではないか。
 もし、共同親権が命じられたら、進路のこと、医療のこと、養育費の使い方にまで許可が必要になるという。意見がくいちがったときに私の意見がとおることはないだろう。そもそも反論する気力すらない。「どうしてそう考えるのか、納得できるように合理的に説明して欲しい」という言葉すら、私にとっては暴力なのだ。

 今、再び、正広の言葉が脳内にリフレインしている。
 「こういうやり取りをこの先、何度繰り返したら良いんだろうね」

Ⓒ入れ子構造

<解説> 
改正民法819条
7 裁判所は、第二項又は前二項の裁判において、父母の双方を親権者と定めるかその一方を親権者と定めるかを判断するに当たっては、子の利益のため、父母と子との関係、父と母との関係その他一切の事情を考慮しなければならない。この場合において、次の各号のいずれかに該当するときその他の父母の双方を親権者と定めることにより子の利益を害すると認められるときは、父母の一方を親権者と定めなければならない。
一 父又は母が子の心身に害悪を及ぼすおそれがあると認められるとき。
二 父母の一方が他の一方から身体に対する暴力その他の心身に有害な影響を及ぼす言動(次項において「暴力等」という。)を受けるおそれの有無、第一項、第三項又は第四項の協議が調わない理由その他の事情を考慮して、父母が共同して親権を行うことが困難であると認められるとき。
 改正法のもとでは、裁判離婚においても共同親権を「選択できる」が、共同親権を望まない当事者にとっては、「選択」ではなく「強制」となる。これが、非合意型強制共同親権の問題である。どのような場合に共同親権になるのかについて、衆議院では曖昧であったが、参議院法務委員会では、小泉法務大臣が、合意ができない場合については、大きな共同親権の傷害になり得ると答弁した。これが守られれば良いが、別居親からのクレームに逆らわず耐えて聞いているような場合も、表面上は共同養育の実績があるかのように扱われるのではないかという懸念がある。
 改正案の附帯決議には、法律を運用する法務省や親権の判断に関わる最高裁判所に対し、「父母の合意がない場合に父母双方を親権者とすることなどへの懸念に対し、最大限努力を尽くすことを求めることが盛り込まれており、適正に運用されるよう注視していく必要がある。

 共同親権ホラーは、離婚事件やDV事件を扱う弁護士がかわるがわる不定期に作成するシリーズです。本事案は、離婚時において共同親権が意思に反して命じられる場合について考えてみました。

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