4年前の日記

EP8は気に入らないところも沢山あるんだけど、ルークのエピソード全てに染み入るものがあって、それが故に作品そのものを受容するという気分になっていった。ヨーダとの再会と会話、そして最後の二重太陽を見つめるルークの姿には、つい自身に置き換えてしまう瞬間があり、同時にベンやレイとのやり取りに先人としてやるべきであろうことの示唆を感じた。

たぶんこのEP7~9の物語はベン(カイロ・レン)の話なのだろうけれども、あの情けない表情と身体を持つベンは先人から見た僕らであり、僕らから見た後輩であり、後輩が認めたくない自分たちそのものなのだろう。そう、認めたくないけれどもベンは僕らそのものなのだ。

この先ベンがどのような選択をしていくかはわからない。最終的には最悪な選択をするかもしれない。けれどもその選択を含めてベンは僕らであるし、そして恐らくヨーダから(もちろんそれ以前から)受け継がれ続けている何かがベンにも受け継がれていて、そしてそれは僕らが連綿と受け継いでいる何かと共通するものなのだろう。だから僕らはベンを嫌いになれないし、むしろベンに近い存在なのかもしれないとも思う。

しかしそれにしても、やはり最後の二重太陽のシーンだ。EP4で何もない少年だったルーク・スカイウォーカーはEP8で伝説になった。しかし個としての彼はEP4の延長線上におり、そして幾重もの悔恨を抱えたままであったはずだ。二重太陽はそんな彼の無力感の象徴であり、しかしそれを抱えながら伝説に、歴史になるというのは、それは恐らく師であるヨーダも同じであったと想像できるし、そしてそれは歴史になった先人たちの思いと同じであるのだと思う。

EP8はおじさんのお話なのだと思う。青春の終わりと、そして青春が終わった人間がいかに自分が駄目だったことを告白し、見せつけることで、青春が始まった人間に新たな希望を探り当てさせるように導くことの重要性を示唆する物語なのだと思うし、実際にそのようにして映画は終わる。だからこそEP9は若者の映画になるべきだと思う。それが現代の若者にとってのEP4になってくれるようなものになって欲しいと、おじさんの僕は思うのであった。

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