3年前の日記

写真を元にしたレイアウトが当たり前になった現代アニメにおいて、果たして人の想像力を元にしたレイアウトがそれを超える事が出来るのであろうか。

写真加工技術による世界観の構築という根幹の想像力を現実に委ねる事に対する敗北感と、そう言った敗北感を発生させるチャイルディッシュな万能感が自己満足的欺瞞に満ちたものである可能性を孕んでいる事を理解しながらも、しかしそこにしか活路を見出せない現状において、しかし我々に残された時間は足らず結果的には敗北せずに何とか引き分けに持ち込むしかないのであろう。

写実がトレンディな現代において、手描きフィクションは圧倒的に不利だし、それを選択する事は大きなハンデを持ったまま闘いに挑む事でもある。ましてやロボットが出てくる近未来SFアニメなどハンデの塊でしかない。

でもそれでも何故作るのか。

それは多分僕が楽観主義で人の想像力を信じているからなんだと思う。一から全てを人の想像力で作り上げていくフィクショナルなアニメーションの力を信じているのだと思う。そういう神を信じているのかもしれない。神は死んでしまっているのかもしれないけどね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?