6年前の11月8日の日記

・SFロボット物で一番重要なのはロボットのデザインではなく、ロボットが存在していておかしくないインフラストラクチャーの想像・構築なのだけれども、その想像・構築に対する理解が著しく低いのは、ロボットアニメというジャンルが(その成り立ちから)内包している悲劇なのではないかと思う朝。

・結局のところインフラストラクチャーに対するリアリティを構築せずに済む現代劇にアドバンテージが存在する中、それを覆すだけの何かを発明しなければ全くを持って勝ち目は存在せず、またその想像・構築についても70~80年代のブルーオーシャン時代に開拓され尽くされてしまった以上、かなりの跳躍と圧倒性、いわゆる頓知を発明しなくてはならず、まぁ正直いえば苦しいというしかないというか、何というか。

・いや、出来ないことはないとは思うのです。ただやるには圧倒的な戦力、そう物量戦を行わなくてはならないのは明白で、その物量戦とは『ロボットがいっぱい出てくる』という見た目の派手さ、営業の人たちが喜びそうな事ではなく、『それらを支援する物』あるいは『それらが存在していることに観客が違和感を持たなくて済むための説得力を出すための物』であるのです。しかしこれらは本当に理解を得られません。悲しむべきことに。

・巨大戦艦や高性能戦闘機を多数作っただけでは勝てないのです、それを支援する基地、機材、人材が揃って、そこで初めて勝つための行動を起こせるのです。ゲルググが多数配置されても学徒動員兵ばかりでは計算出来る戦力にはならないのです。しかし愛国の志はあり(以下略

・というわけでSFロボット物って大変なので、やるなら覚悟してやらないとなぁ〜と。でも大概においてSFロボット物をやる時は『流れ』で『なあなあ』で始まってしまうのだよなぁ〜、あぁ。あ、いや、今の仕事の話じゃないです、本当です、はい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?