6年前の11月4日の日記

・映画とファシズムの親和性について、リーフェンシュタールの例を挙げるまでもなく高いものであるのは、映画や映像についての教育を受けた者にとって基礎中の基礎であるけれども、それについてどれだけの者がリアリティを持って考え、捉えているか、時々怪しく思える瞬間があるといえばある。

・映画や映像とは「光と音の刺激の集合体によって視聴する者の感情を揺さぶる装置」であり、その刺激とは送り手が意識するしないはさておき「暴力」となりうるものでもある。暴力はときに暴力を誘発し、それが取り留めもなくなる可能性を孕んでいるのは、送り手も含めた我々が聖人ではないからであり、だからこその熟考と配慮が必要になってくる。

・古代より連綿と続く宗教が持つ様式美が、実は人間の身体的、感覚器的に持っている受容体に効果的な刺激を与える構造を持っていることが多い。そのことに対する畏怖を孕まない形で、ただ単に「カッコいいから」という形で引用するのは歴史に対する冒涜であり、それを認めてはいけないと個人的には思う。

・オチはない。

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