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8. フーテンの山さん



山さんとの出会いは、大学に進学して入居したアパートがたまたま同じだったから。
それだけだ。

初めての一人暮らしで、大学までの道のりや近所の商業施設を一通り散策した入学式の3日前。アパートの入口で、鉢合わせになった。

身長は185センチぐらいだろうか。
スラッとした細見の体で、顔も小さく、女性と見間違えるような二重に長いまつ毛。
一見するとモデルのようなスタイルと顔立ちだが、その全てを相殺するぐらいのルーズな服装。

着古した白と黒のラグランTシャツにグレーのスウェット。ポケットに財布も携帯もタバコも全部ぶちこんでいるのか、スウェットがずり落ちて紺色のトランクスが丸見えだ。

そして、何よりも、山さんの目。
ぱっちり二重でまつ毛も長いのだが、何を考えているのか分からないような、眠たそうな、気怠げそうな、もっと悪い言い方をすると少しラリッてそうな。

ちょっと世界が広くなるとこんな人もいるんだなぁと思いながらオートロックを解除していると、唐突に声をかけられた。

「新入生やろー?」

そこから、山さんとの付き合いが始まった。

実家から離れた大学に進学した私だが、山さんの実家は私の隣県で、半ば同郷のような話で盛り上がった。

盛り上がったと言っても、山さんの口から出てくる声は見た目そのまんまで、煮えたか沸いたかよく分からない間延びしたものであったが。

当時私は大学1回生、山さんは4回生であった。
言われるがままに山さんと同じバイト先で働いて、バイトが終われば麻雀三昧。

互いにバイトが休みで暇な時は私を連れ出し、山さんの愛車であるシルバーのシビックで深夜徘徊。片側2車線の道路を逆走していた時は、本当に死ぬかもしれないと思った。
ちなみに山さんとのドライブは、唐突に大学の構内を爆走し、サッカーゴールのネットを突き破ってシビックまるごと池に入水したのが最後だ。

山さんはとにかく交友関係が広く、私の友達もほとんどが山さんを知っていたし、山さんをきっかけに知り合いも増えた。

そして何故か、年下も年上も、男も女も、彼のことを「山さん」と呼んでいた。

基本的にだらしないし、やることもハチャメチャだったが、どこか人に慕われる要素があったのだろう。

山さんが卒業して3年後、山さんと同級生で同じバイト先で働いていた木村さんの結婚式に招待された。

木村さんは、卒業後は消防士になり、社会人4年目でゴールイン。

僕のテーブルには山さんを含めたバイトメンバー6人。当時の木村さんからは想像できないなーなんて話をしながらビールを煽っていた。

木村さんと嫁の思い出ムービーを眺め終わり、私が疑問に思っていたことをさりげなく聞いてみた。

「そういえば山さん、今何してるんですか?」

「あー、それなー。」

ビールを一口流し込み、相変わらずの間延びした声で話す。

「今オレなー、『山本』ちゃうねん」

「え、どういうことですか?」

「就職せんと実家でプー太郎してたら、付き合ってた子が妊娠して婿養子で結婚したんよ。」

「だから今、山本じゃなくて『川島』やねん。」

『山』だと思っていた人が、『川』になっていた。

テーブルに置かれた席札は、山本のまま。名字が変わったことを木村さんにも伝えていないのだろう。本当にルーズな人だ。

その結婚式以来、山さん改め川さんには会っていない。
今頃何をしているんだろうかと気になり、LINEのトーク画面を開いてみる。

「お久しぶりです、山さん元気にしてます?」

文字を打ち込むが、送信ボタンは押さなかった。結局私にとって山さんは山さんのままなのだなと思うと、なんだか笑えてきた。

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