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生きるをしている

2023年2月4日。甥っ子が高校を卒業しました。
感慨深いものがありました。
それは3年前、2019年11月6日があったからです。
3年前のこの日の話から始めます。

2019年11月6日の夜、姉から電話がありました。声の感じからよくないことだとすぐに察しました。当時、甥は中学3年生。

「(甥が)事故に遭った。これから緊急手術する。。。」
学校からの帰宅途中、甥は車にはねられたのです。一緒に帰っていた友達によれば電線の高さまで甥は飛び、30mほど先に落ちたそうなのです。幸いなことに落ちた所が田んぼだったことで一命は取り留めました。
もし、落ちていたのが道路の上なら厳しかったでしょう。

私は翌日休みをもらい、甥のいる岡山の病院に駆けつけました。
こんなに悲しい気持ちで地元に帰るのは初めてでした。
事故現場を通ると、甥の自転車がへちゃげた状態でまだそこにあり、もう涙が止まりませんでした。

姉は早くに結婚、出産をしましたがその後離婚。姉と幼い二人の甥は私の実家に住むことに。私もそこから多くの時間を甥たちと過ごしました。

幼い頃の二人の甥

事故で甥の右足は開放粉砕骨折で、長く入院生活となりました。中学3年生だった甥はサッカーが得意で、高校も県外のサッカー強豪校へ、という話もありました。

しかし、事故によって骨折だけでなく足が動かなくなっていました。神経障害もきたしていたのです。

サッカーはできなくてもいい、生きてくれているのだから。
そう思っていました。

事故直後の甥
入院中、Jリーグの試合にも連れ出しました

しかし、サッカーの推薦で声をかけてくれていた高校の先生はそんな状態の甥であっても「うちにきませんか」と言ってくれたのです。

そして甥は事故の後遺症も癒えぬまま、県外のサッカー強豪校へ進学しました。でも、ずっと別メニュー。その間、チームはインターハイにも出場。当然、甥はメンバーには入れません。

でも、甥から悲壮感は感じなかったし、マイナスな言葉も一切出ませんでした。
あの時、命が無くなっていてもおかしくないような経験をし、それ以降の人生は、ボーナスステージ。怖いものなんかない。良いことも悪いことも全てを受け入れて生きているようでした。高校生にして。

生きるをしている
そう思いました。

そして、事故から2年経ち、足の感覚が戻ってきた甥は、高校サッカー選手権予選のピッチに立つことができたのです。
力強く走るその姿が嬉しくて嬉しくて。。。

そして今日、高校の卒業式を迎えました。
歩けなくも生きてくれているのならいい、と思った3年前のことを思うと感慨深い。
きっとこれからも人生というピッチの上を元気に走ることでしょう。

今日の卒業式。甥と母(私の姉)の記念写真

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