なべおさみ本を読んでいた

枕営業を巡るニュース

 芸能界が、ある人の「告発」により、「枕営業」というキーワードで「少し」揺れているようだ。
 ネットで「微妙に表ざたにならない」ニュースを傍観しているだけだが、「騒動」としてそのうち鎮静化するような気配か。今回は「強要したか」「周囲がそそのかしたか」「そもそも告発は事実か」などが争点のようだが、枕営業自体に関する受け止め方をネットで見る限り、「強要やレイプは問題だが、合意なら問題なし」という感じを受ける。
 そして、自分が改めて認識したのは「もともと技術や能力で優劣のつけがたい芸能の世界でのしあがるためには、そういうこともあるだろう。そういう世界」という見方が、やはり一般的、いや平均的か、ということ。

 どんな世界でも頭角を現すためには、何らかの要素で他より抜きんでていることが求められ、例えば、政治の世界、特に国会議員になるには俗に「地盤(選挙区と後援会、労組など支援組織)」「看板(知名度)」「カバン(資金力)」の三バンが必要と言われる。もちろん、明晰な頭脳は必要だが、それだけではそもそも選挙に勝てないし、また、明晰な頭脳がなくとも三バンのどれかが強力であれば選挙に通ることはある。
 そこまでいかずとも、会社員生活で社外営業力より「社内営業力」でのしあがる人もいる。
 芸能系だと、歌唱力やダンスなど身体能力など客観的に能力を測れる要素が限られるだろうし、それ以外が大きく「出世」を左右しよう。

 まあ、上記のニュースは行方をゆるゆる見ていよう。
 そのニュースに触れたのは、それが流れる前にたまたま最近目を通していた本が、なんとなくつながりを持ちそうなので、である。

なべおさみ本、そして『興行とパトロン』

 読んでいたのは、なべおさみ『芸能とやくざと』(イーストプレス、2014)。文庫化した『やくざと芸能界』(講談社+α文庫、2015)も。
 蔵書多めの図書館の演劇コーナーに置いてあり、手にとった。図書館はやはりいい。確か、同じような状況でなんとなく借りたのが、
 神山彰編『興行とパトロン 近代日本演劇の記憶と文化』(森話社、2018)。

 なべおさみ本の方は、出版当時話題になったようだ(その時は興味がなかった)。水原弘、勝新太郎、ハナ肇の付き人を経験し、その中で石原裕次郎や美空ひばりの話から、安倍晋太郎(安倍晋三の父)まで出てくる。
 アマゾンでは評価が割れるようだ。確かに「交遊」をひけらかしているようにも見えるし、文章の揺れやぶれ、「である」調と「ですます」調の混在(この日記はそうだが)などは気になるところ。

彼なりの考察、面白い

 それでも面白いと思ったのは、彼なりにやくざ、芸人、芸能、差別問題をを研究して考察しているところ。沖浦和光(かずてる)氏が差別問題の師匠と明記しているし(自分の考察の源を明記するのはフェア)。
 そもそも学者の説をはじめ、自他の考察や文章が全て正しいとは限らず(正しいとはそもそも何か)、疑ってかかり、「そんな考えもあるんだ」として参考にするものだと思っている。
 なので、彼なりの考察と思って読む。学術論文でもないが、それなりに自説に持っていく流れはあるようだ。

 社会の規範の中で生きられない者の位置、 出雲の阿国考、やくざ考、ユダヤ考、弾左衛門考、そして「手拭」に込められた意味。
 「女々しさ」という言葉を用いた時に、男尊女卑の時代に出来た言葉だから許されたい、と断っているし、かなり彼なりに読み込んで勉強していると感じる。文章の組み立て云々は置いておいて。学会に発表するのでもなければ、「在野の研究者(そもそも研究者とはなんだろう)」としては十分にがんばってる気が、自分としてはした(またえらそーに)。

 なんで、ああ、芸能界の成り立ちをこんな風に見ている人がいるんだな、という意味で興味深い書と思っていたら、冒頭の「騒ぎ」が起きて、ふーん、という感じ。

 『興行とパトロン』はこれまたこれで専門の研究者の書として面白い、また別稿で。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?