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守り刀の話

 五十代の女性、由実さん(仮名)から伺った話。
彼女がまだ幼かった時、父方の祖母が亡くなった。葬儀のために由実さんの家族は急遽、父の実家へと向かった。実家は片田舎にあって、家屋自体もかなり古いものだった。子供だった由実さんは広くて薄暗い屋敷が何となく怖かったという。仏間に祖母は寝かされていて、胸の上に何かが置かれていることに由実さんは気がついた。
「お父さん、お祖母ちゃんの胸のところに置いてあるのは何?」
気になった由実さんは父親に尋ねた。
「あれは魔除けのための守り刀だ」
それは美しい漆塗りの短刀だった。
人が死ぬと身体から魂が抜ける。空っぽになった亡骸に辺りを彷徨う悪い霊魂が入り込もうとする事がある。だから魔除けの為に刀を置く。
「昔からある、まじないだ」
父はそう教えてくれた。
 騒ぎが起きたのはその夜更けだった。その短刀が消失したというのだ。
家中が騒がしくなり、寝ていた由実さんと妹も起きてしまった。
仏間の遺体の周囲にはびょうぶが立てられていて、外からは見えにくくなっている。
だから、誰かが忍び込んで盗んだのではないかという話になった。
仏間の隣の部屋に二、三人の親族がずっといたが、話し込んでいて気がついた者はいないという。
短刀は家人が亡くなった時にだけ使う大事なものだ。
慌てて皆で家や周囲を探し回ったが結局、見つからずじまいだった。
 数日して葬儀が終わると由実さん達は家に帰った。
ただ由実さんは偶然見てしまった。帰宅した夜中に母親が件の短刀を薄暗い部屋の中で一人、うっそりと眺めていたのだ。
しばらくすると短刀を布に包んで引き出しの奥に隠してしまった。
父の実家で騒ぎが起きた時、由実さんは嫌な予感がしていた。なぜなら以前から母には盗癖があったからだ。由実さんと買い物に行った時などに、棚にある商品をこっそりと盗むことが度々あった。由実さんが気づいて咎めると、誰かに言ったら承知しないと脅かされた。
父親も気づいていなかった事で、幼かった由実さんにはどうしようもなかった。
家が貧乏だったかと言えばそんな事はない。むしろ母親は盗みを楽しんでいるフシがあったという。まさかとは思ったが、祖母の葬式の時までその悪癖が出ていたと知った由実さんは暗澹たる気持ちになった。
だが、それから妙なことが起きるようになった。
ある夜中、家族で寝ていると隣に布団を並べた妹に揺すり起こされた。
「どうしたの」
由実さんが聞くと、妹は天井の方を指差しながら言った。
「お祖母ちゃんがいる…」
由実さんは妹が示す方に目を凝らした。豆電球の頼りない光だけが室内をぼんやりと浮かび上がらせている。ただいくら眺めても、煤けた天井があるだけで何も見えなかったという。
「何もいないよ?」
由実さんは小さい妹が寝ぼけたと思い、そのまま寝てしまった。
ただ、その翌日も真夜中に揺り起こされた。
「お姉ちゃん、お祖母ちゃんがいるよ」
妹は耳打ちするように言って天井を指差した。
また妹が寝ぼけているのかと思って、何となく上を見上げた。
天井近くの、ある一点の空気が黒く蟠っている。
「ひっ」
由実さんは小さく悲鳴をあげた。
ちょうど母親が寝ている布団の真上辺りの天井に、祖母が蜘蛛のようにへばりついている。
間違いない、葬儀の時に見た死装束を身に付けている。
やがて祖母は首だけを反らせて、下で寝ている母の顔を覗き込んだ。
両目が大きく見開かれているが、眼球は無く真っ暗な空洞が口を開けている。
そのまま天井から吊り下がるようにして母に顔を近づけた。
由実さんは恐ろしくなり目をつぶった。
しばらくして、怖々と瞼を開けると祖母の姿は消えていたという。
隣の妹を見ると静かに寝息を立てている。
見間違いか、夢だったのかも知れない。
由実さんはそう思う事にして布団を頭まで被った。
 翌朝、布団の中で母が冷たくなっていた。
死因は脳出血だった。
後から分かった事だが、ちょうどその日は祖母の四十九日に当たる。
やがて事は明るみに出て、短刀は父の実家へと戻った。
後年、由美さんは妹にあの日の夜の事を覚えているか尋ねたが全く記憶にないのだという。

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