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強者女性へ。

これからこの記事に書くことはとある人へのメッセージだ。私の書いたものに対して返事をいただいたので、本場所に公開する前にここに公開する。
事情を知らない人が読んでも得るところがあるように書いてある。
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こんにちは。私の回答に対してのお返事ありがとうございます。
じっくり読ませていただきました。

まず始めに申し上げておきますと、どれほど言葉を尽くして説明しようともおそらく私たちは分かり合えません。そして貴女に謝罪していただいたり、同じ意見になっていただくことが私の目的でもありません。

私が自分の虐待の過去やその他の経験を貴女にお話しするのは不幸自慢でも同情を買いたいからでもありません。
私は貴女に、私のことが分からないことを分かっていただき、そして貴女に自分が持つ特権を自覚していただき、その特権をもって私より弱い立場の人を無自覚に攻撃してもらいたくないのです。

私は19の時母を切り捨てて新興宗教に入ることで人生がガラッと変わりました。
私は例え家族から捨てられてもお金を払わずに自分の味方になってくれる人がこの世に最低一人はほしくて宗教に入りました。別にこの宗教でなければいけない理由はありませんでした。宗教集団ならどこの何でも良かったです。
実際ドクターショッピングのように色んな組織を渡り歩きました。さしずめ神様ショッピングです。

私が幸運だったのは軽い精神病を患うだけで子供時代を生き延びられたこと、そして何よりも私を救ったのが反社会的勢力ではなく宗教組織だったことです。

私は母との問題を何もしない「静のアクション」でやり過ごしました。私は何もしなかったからこそ自分の人生を諦める代わりにより悪い方へ転落することも免れたのです。
ところが私と同じような境遇の人には間違った自主的な行動「動のアクション」で対処する人もいます。
そういう人はたいていその後の人生をより厳しいものにしてしまいます。例えば刑務所に入るとか、精神病院から出られないとか。アルコールや薬物に頼る人もいますね。

これは不公平だと思いませんか。何もしなかった人間が良くも悪くもないくらいの結果を手に入れて、とりあえずがむしゃらに何かをした人間が悪い結果を引き受ける。
もちろん行動の責任というのは、ある程度の年齢になれば当人にあります。事情があれば人を殺そうがものを盗もうが許されるべきだとかそういう意見ではありません。

しかし、私はそういう間違った動のアクションをしてしまい、その後の人生が厳しくなってしまった人達のことを私より弱者ととらえます。
彼らはたいてい語る言葉を持ちません。語っても信じてもらえません。私の周りにいるそういう人たちの一人の男性は重い精神病を患い、何十年も口を利くことができないまま家族からも見捨てられ、私がお世話になった宗教内部で暮らしています。

白饅頭氏のこの記事ではまともな社会が「いらない」と捨てた人々を包摂したのがヤ〇ザや反社会的勢力だった、と語られます。
私はこの中にカルト含め宗教組織も入ると思います。

貴女方まともな人たちが「カルト」「頭おかしい」と攻撃する宗教組織だけが私を救いました。
社会のまともな人たちが「やばい家の子」「メンヘラクレーマーママの家」とお近づきにならないように、生かさず殺さずの付き合いで社会から捨てたゴミを、拾い上げて食事を与えたのが貴女方が「キ〇ガイ集団」と呼ぶ宗教組織だけでした。

「本当の弱者は語る言葉を持たない」という言葉があります。ここまで書いてきたことで何となくわかると思いますが、本当は言葉を持たないのではなく、言葉を信じてもらえるだけの信頼を持たないのです。
言葉というのは言語だけではありません。全身から発するニュアンスや雰囲気、しぐさ、目の動き。そういうものも含めて言葉です。
弱者だってそれは持っています。それをまともな人たちに、受け止めたいと思ってもらえるだけの人間性を提供できないだけです。

だからこそ、今私は貴女に話すことをやめるわけにはいきません。
確かに私にとって貴女は知らない人だし、どこでどう生きてもこの私には関係がありません。この回答だって貴女が読まない可能性の方がずっと高いです。
しかし、今回貴女が私を黙らせたという成功体験を積んでしまえば、おそらく貴女はそこで踏みとどまることはないでしょう。

次は私より立場の弱い人たち、上に上げたように「動のアクション」で人生をさらに厳しいものにしてしまった人たちに向かって、大げさに言うならば刑務所の慰問にでも出かけて行って「お前たちがこうなったのは自己責任だ。私は子供のころから自分のやりたいことをどんな逆境があろうと貫いた。だからお前たちは甘えてる」と言いかねないからです。

だけど、貴女の言う「逆境」とはせいぜい「クラスメイトに微妙な顔をされる」とかその程度のことですよね。

だからこそ、弱者の中でも上澄みで、反社会的勢力ではなく宗教組織に救われ、語る言葉を持ち、長い文章をつらつら書く能力にも恵まれた私が貴女に言わなければならないのです。
現代では女性に対して厳しいことを言うのが男性には難しいです。ましてや貴女のように強く、知的で物怖じしない人に対して手厳しいことを言える男性はほとんどいないでしょう。
だから私に言わせてください。

弱者を嫌ったり、自分の得た地位や権力を社会のためではなく自分一人のために使うのが、女の本能なのかもしれません。

しかし、私が今回貴女にこんなに長い文章でお返事を書いたのは「動のアクション」を取ってしまった人たち、もうお気づきでしょうが圧倒的に男性ばかり、という私よりずっとチャンスのなかった人達を貴女が無自覚な特権で殴りつける未来を防ぐためです。
もし私より弱い立場の男性が貴女と言う女性に殴られるかもしれない未来に対し、女である私が傍観しているだけだったら、きっと男性含め社会は女性のことを「何もできない女子供」「社会の一員としての責任感がない」と諦め、また一歩女性の権利制限が蘇る「新近代」への負の貯金が積み上がるでしょう。

大した能力もない弱者の女である私ができたのです。私よりずっと知的で強くて、自分の夢を貫けた貴女にも絶対にできます。

ご自分の持つ特権をどうか自覚してください。そしてその特権で人を殴るのをやめ、どうかご自分一人のためではなく社会のために使ってください。
女の本能に負けないでください。
男性だって本能と戦っています。
貴女のような強くて知的な女性にこそ、女の本能に打ち勝った姿を見せてもらいたいです。

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