備忘録
2023年も1/12が過ぎた。気持ちを整理するのに時間が必要な、怒涛の1ヶ月だった。いつか、何年も経ったいつか当時の自分を思い出せるように、もし思い出したいと思った時のために1ヶ月に1回ぐらいは記録としてnoteを書いていこうと思う。
年末、父が半身不随になった。
12/28に緊急手術をし、1ヶ月が経過した。
幸い命は取り留めたし、リハビリで少しずつ左半身の機能も取り戻しつつあるらしい。でもまだ右は全然動かない。長時間座っていられない。
「お父さんが昨日から手も足も動かなくて昨日救急車で病院に行った。これから首に溜まった細菌の膿を取り出す手術をしてもらうことになった。」
年内最終出勤日、母からの電話に何が起きているのか分からなかった。
数日前に首を痛めたことは知っていたが、快方に向かっていると思っていたのに。数日前にLINEした時はわたしのちょっとしたお願いに嬉々としたスタンプを押していたのに。
急いで帰省の準備をし、新幹線の中で手術は無事終わったと母からの連絡。この時は、手足の反応がないのは術後すぐだからと思い込んでいた。明日になればきっと手も足も動くようになると勝手に思っていた。
翌日、なんとか15分だけ病室に入れてもらうことができた。父の顔は見たこともないぐらいパンパンに浮腫んでいた。小顔の父からは想像もつかない顔に、驚きを隠すことができなかった。と同時に自分が思っているより事態は深刻だとようやく気がついた。わたしの呼びかけに目を覚ました父が、わたしを見るなり名前を呼んで泣いたことを多分一生忘れない。
それからは母とわたしと、二人で楽しいふりごっこをして数日過ごした。
わざわざコーヒーを豆から挽いてコーヒーメーカーのものと飲み比べてみたり、ドライヤーをナノケアに変えてみたり。楽しいふりをして過ごすのに、ふとした瞬間に涙が出てきて困った。
スーパーに年末の買い出しに行って、たつくりを見てもうお父さんと食べられないのかな、とか。掃除用洗剤に中身を間違えないよう父の注意書きが書いてあってそれが妙に泣けてきたり。この涙腺はわたしも母も自分たちでどうしようもなさそうだから、お互い急に泣けてきてもてへぺろで過ごそう、と話した。
「わたし、思ってた以上にお父さんのこと好きみたい」。
母は40年連れ添った夫に対する自分の気持ちを再確認した様子だった。
こんなタイミングで、というか、こんなタイミングだから改めて思うんだよな、と妙に納得してしまった。
そんな中、12/31に父から電話がかかってきた。
病院からだと思ったので悪い知らせかと思い、心臓バクバクで電話に出たら父だった。看護師さんに介助してもらいながら電話をかけられたと。父は笑って、母とわたしは泣いていた。父は退院してからの話をした。前向きすぎて頭がついていかなかったぐらい、前向きだった。
きっとこれから先、たくさんたくさん大変なこともあるのだろうけれど、今日の電話を思い出せばなんでも乗り越えられそう、と母と言い合いながら年を越した。
この頃はまいにち感情の波がジェットコースターに乗っているぐらい変化が目まぐるしかった。父に対してこれまでいろんな、本当にいろんなきれいだけではない気持ちを抱いてきたけれど、そんなの全部どうでもいいと思えるようになった。
そこから父から日に何度も電話がかかってくるようになった。
病室で、天井を向いたまま時間が過ぎていくだけを待つ日々はわたしが頭で理解する以上にしんどいんだろう。
もう1年仕事をして、その後は旅行にでもどこにでも行くつもりだったのに後一歩のところで退職せざるを得なくなり、心残りなんだろう。
想像を超える気持ちを抱えていると思うと、何もできない自分がもどかしい。
少しずつリハビリをし、左手でご飯が食べられるようになったり腰を浮かせられるようになったり。できることが増えるのを一緒に喜ぶ一方で、できないことにも思いを巡らせてしまったり。いいときも悪いときもある。頭では分かってるのにもどかしく思ってしまったり。つくづく、欲張りだなと思う。
それでもやっぱり欲深いわたしは、きっとよくなると信じてしまう。
きっと一年後には、杖をついて歩けるんじゃないかと願ってしまう。
歩けなくても、車椅子に乗って自宅に帰って来れると思ってしまう。
母のそばで、一緒にご飯を食べること。
父に何か差し入れるときは手紙を書くこと。
産後で帰省できない姉に、父や母の状況を共有すること。
わたしのやることで父の容態は変わらない。だけど、目に見えない力が回り回って空気中をさまよって父のパワーになる可能性が0ではないと信じたい。現実的で打算的な性格なのにこういうときだけは目に見えないものを信じたくなる。本当にいい性格だなとつくづく思うが、信じてしまう。
2023年、これまでなんとも思わなかったことに感謝したり落胆したり、今まで思わない感情に出会うことになるんだと思う。
偏った家族観もどこか少し変わるのかも知れない。もしかしたら変わらない部分もあるのかも知れない。
まだ何もわからないけど、全部受け止められるかもわからないけど。
あたり前と思っていたことがあたり前じゃないと気づき、感謝できるようになっただけで、一歩前進としようかな。
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