日蓮大聖人の言葉 『盂蘭盆御書』うらぼんごしょ 16

盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて知恵第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならび、大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。この人の父をば吉懺師子と申し、母をば青提女と申す。その母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候しを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。        

弘安3年(1280)7月13日執筆
                                   『昭和定本日蓮聖人遺文』1770~1771頁


(訳)
「盂蘭盆」について申し上げましょう。その昔、お釈迦さまの弟子に目(もく)連(れん)尊(そん)者(じゃ)という人がおられました。智慧第一といわれる舎利弗とならび、神通第一の目連尊者は、あたかも須弥山に日と月が並んでいるように、また大王の左右に付き従っている大臣のような存在でありました。目連尊者の父は吉懺師子といい、母は青提女というのです。その母は、物惜しみをし、自分の持っている物を他人に与えなかったために、その罪で死後には餓鬼道へ堕ちてしまいました。それを、目連尊者が救い出したことから始まっているのです。

 この手紙は、身延山に住まわれていた日蓮聖人が、駿河(静岡県)在住の治部殿の祖母である「うば御前」(治部房日位の祖母と推測)に宛てられたと伝えられています。うば御前から、盂蘭盆会の供養として白米・焼米・瓜・茄子などの食糧品が届けられました。その際、日蓮聖人に宛てられた手紙に、「盂蘭盆とはどのようなものであるのか?」という問い合わせがあったので、御礼と共に返書として書き送ったのであります。日蓮聖人がお盆(盂蘭盆)について言及されていることから、鎌倉時代には既に「お盆」という概念が存在していたことが明らかです。


 盂蘭盆の起源について、目連尊者とその母親の物語を紹介したうえで、神通力を用いても餓鬼道に堕ちた者を救うことができず、法華経において目連が成仏をし、母親も法華経によって真の成仏がなされたことを挙げています。盂蘭盆は、ご先祖さまにとっても、私たちにとっても、重要な行事であります。ご先祖さまをお迎えすると共に、自らの生き方を見直す機会でもありましょう。

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