日蓮大聖人の言葉『神国王御書』しんこくおうごしょ 11


一代聖教の中に、法華経は明鏡の中の神鏡なり。銅鏡等は人の形をばうかぶれども、いまだ心をばうかべず。法華経は人の形を浮かぶるのみならず、心をも浮かべ給へり。心を浮かぶるのみならず、先業をも未来をも鑑み給ふ事くもりなし。
                                           文永12年(1275)2月執筆 
                                           『昭和定本日蓮聖人遺文』886頁


(訳)


お釈迦さまが生涯において説かれたすべての教えである明鏡(曇りの無いよく映る鏡)のなかでも、法華経は特に明かな神鏡(神聖な鏡)であります。銅の鏡は人の顔や形を映しますが、心を映すことはできません。ですが、神聖なる鏡である法華経は、人の姿や形を映すばかりでなく、その心までも映すのであります。しかも、現在の心を映すだけでなく、前世の業から未来の果報までも、ありありと照らし見ることができるのです。

(解説)

 本書は、重要文化財にも指定されている遺文です。はじめに、日本の国土と国主について示され、仏教諸宗の日本伝来について記され、最澄・円仁・円珍について言及されます。また、歴史的事実や天皇のこと、法華経弘通による受難や諸天善神の加護についても説かれるのです。日蓮聖人みずからが、出家や発心の動機を述べ、さらには独自の歴史観や国家観などが見られるたいへんに重要な遺文であります。
 冒頭に挙げた一節では、一代聖教(お釈迦さまが一生涯をかけて説かれたすべての教え)を「明鏡」と位置づけています。「明鏡」とは、曇りの無い鏡のことであり、一代聖教の中でも法華経は、神聖なる鏡とされる「神鏡」であります。神聖なる鏡である法華経は、人の姿や形だけでなく心までもを写し、さらには過去・未来までも写すというのです。

(思うところ)


 みずからの生き方を経典(鏡)に問い尋ね、お釈迦さまの教え(聖教)に自己を投影することで、そこにあらわれた結果により、反省をすべきこともありましょう。私たちは鏡を通さなければ、自分自身を見ることはできません。ましてや自己の生き方は、見えているようで、まったく見えていないこともありましょう。ですが、仏さまは私たちのありのままの姿を見ており、暖かいまなざしで見守ってくださっているのです。

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