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気遣いについて

写真はフライパンで作ったたこ焼きです。

「宅急便を受け取った後、配達員がいなくなるまで少し待ってから鍵を閉める」という内容の4コマ漫画がTwitterでバズっていたことがある。
いわゆる「あるあるネタ」のような形でバズり、リプライにはたくさんの共感の声が書かれていた。

「自分もよくそうします」
「音がしないようにゆっくりしめますよね!」

日常のちょっとした気遣いに共感する声、すごくいいですね。

「それが普通だと思ってました」
「母親からそうするように教わってました」

ん?

「わかります!自分もガチャって閉められて嫌な気分になりました!」
「自分がされて嫌なことはしないですよね」


えっ……

心狭すぎじゃない……?


鍵閉めた音がしても「鍵閉めたな~」くらいにしか思わなくないですか?
「乾杯のとき私にだけグラス当ててくれなかった……」とかネチネチ言うタイプかな?

宅急便を受け取って普通に鍵を閉めただけでイラつく人間がいるのかと思うとめちゃくちゃ怖いという気持ちしかない。
この程度でイラつくような人間だ、もし道を歩いていて肩がぶつかろうものなら確実に殺されるだろう。
そんな怖い人が宅配に来るんだからやっぱり即施錠したほうがいいんじゃないかな……

そもそも、音が鳴らないように鍵を閉めるのは閉める側の気遣いであって、閉められる側が強要することではない。
そして、個人的な感覚ではこの「気遣い」もクソマナーの一種のように感じている。

なぜなら鍵を閉めるときに音が鳴るのは当たり前のことで、失礼じゃないから。

ドアを閉めたら施錠するのは当たり前のことで、施錠時に音が鳴るのも一般的な鍵では当たり前だ。
相手に不快な思いをさせないような気遣いは素晴らしいが、こんなことで不快になるほうが狂っている。

Twitterでは「クソマナー撲滅ツイート」がよくバズるが「クソマナーの共有」も同じくらいよくバズる。
クソマナーを撲滅しながら新たなクソマナーを広めているというわけだ。

レジ係が座っていて怒る人間と、普通に鍵を閉められて怒る人間の何が違うんだろう。
レジ係が座って仕事をしていいなら普通に鍵を閉めていいだろう。

しかし、気遣いではなく「ヤバい人への自衛手段」という意味であれば音が鳴らないように鍵を閉めるのも納得できる。
気遣いができないのに気遣いの押し付けをする人がたくさんいるからだ。

「する側」だけでなく「受ける側」にも気遣いが必要ではないだろうか。
そういう力を養うのが読書であり、読書感想文だと思っている。

読書感想文の是非についてもそのうち書ければいいかな。noteよりもやりたくないことがあれば……

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