見出し画像

奇麗ごとなど響かない

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

noteの連投をしたのは
久しぶりな気がしている

何故それをしたかと言えば
まぁアプリでも記事が買えると
アナウンスが流れたから

今頃?とは思うけど
そもそも有料記事の仕組みをつくり
アプリを配布するなら
そこが本来最初にやらないといけない
キモだと思う。

ちょっと前に
インスタでnoteが広告を出していた

文章で稼ぐみたいなことを
歌っていたような気がする

例えば、イイネを貰えてイイネを返して
そうして出来た和が大きくなって
いよいよ有料記事を出す。

それは正解の様で
個人的には不正解に思う
小さなサークルなんかも
これにあたる気がするんだ

それは相手に刃をつきつける
だけのことではない
自分がその奴隷になるかもしれない

お金がないんですと
嘆いていたって
結構な排水つまりを直せば5万円ですと
案内をしておくときに

2万円でやりますといっては
いけない。

乞食じゃないのだから。

もし、俺とあなたが懇意にしていて
俺の絵をあなたが買ってくれるとして

友達を主張するならば
割増しで買えと思う

足をひっぱる友情関係は
続くことはない。

有料記事というものは
人には人の生活があり
どうしてもあなたにいて欲しい
それは代替の効かない記事を書く人なら
成立すると思う

そこまでの域になるには
相当しんどい想いをしないといけない
でなければ心は語れない

俺は人にいいね周りをオススメする。
全部読めとは思っていない
noteだったらうまく時間をわければ
200のイイネを1日押せる。

1時間あたり50くらいで制限になる
これを日で4回にわけて
時間をみて毎日やることを

1週間、1か月、1年
欠かすことなく続けてみればいい
絶対できるものじゃないから。

読まずにイイネを押していれば
自分のモラルに疑念は出るし
内的要因にも外的要因にも邪魔される

それでも続けるとき
いいねをした人たちがお礼をくれて
記事を読んでくれるというのではない
むしろ見透かされて誰もスキを
くれないかもしれない。

でもそれをした経験は
心はブラッシュアップされている

正解か間違いかわからないことを
人は間違いだと決めつけて正義を語る
いつだってあのブドウはすっぱいに
決まっていると。

挙句の果てには
皆さんとのつながりを大切にします。って
そこまで大袈裟だと相手方は引く

もっと楽でいい
もっと手を抜いていい
もっと狡くていい

それを素直に教えてくれるから
友達になれるのだろう

それを素直に話せるから
一緒にいても疲れないのだろう

まぁ俺はもうnoteでの
営業活動は一切していないのだけど(笑)
またやるかな。

絵を売り付けるためにね
高額でな!(笑)

PS
アプリでも記事を購入したり
オススメできるみたいですね(笑)

友達ってなんだっけ?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?