味噌作りの思い出

2022年1月30日

前日の29日に、四谷の写真展会場へ出かけて、写真展「まなざし」の打ち合わせをしてきました。数年ぶりに乗ったような感覚で電車に乗り新鮮でした。昼食は四谷の駅で買ったおにぎり一個を食べながら電車に乗りました。新宿で写真の情報などを探りたいとも思いましたが、人ごみを避けて帰ってきました。立川駅でアンパンを一つ買って、青梅線に乗り換えました。アンパンを食べた後に眠ってしまったようで、乗換の拝島を乗り越し、羽村駅で目を覚ましました。登りの電車を待って拝島駅にもどり五日市線に乗りました。また眠ってしまったようで五日市駅に停車しても気づかないで眠っていました。登りの電車が出る前に目を覚まして、あわてて降りました。

 家に帰って来ると、何か懐かしい臭いが漂っているのを感じました。思い出したのは、大豆の煮豆の臭いです。思い出しました。子どものころに味噌作りの大豆をカマドで煮ていたことを。味噌作りの大豆は田んぼの「くろ」と呼ばれる水漏れを防ぐためにドロを塗り固められたところに植えた大豆です。マメ科の植物は根に植物の生長に欠かせない窒素を貯めるからです。その窒素を田んぼの稲作に利用していたのです。

大豆は大豆の力で成長していた大豆で味噌を作っていたのです。思い出せば直径50㎝はあろうかと言う大釜で、ゆっくりゆっくりと煮ていました。その火の番や焚き木運びの手伝いをしていました。豆が茹で上がると土間に準備された臼と杵で豆をつぶす仕事です。大人は大きな味噌玉を幾つも作っていました。この味噌作りも、餅つきも一日で終わらない量を作りました。物置には直径1、2mで深さ2mも有る味噌樽が2~3個有りました。米と味噌が有れば何とかなる暮らしでした。母親が「味噌だまり」をとってこいと、私に時々言いつけてきます。決まって醤油が買えない時の様でした。味噌樽の味噌の表面を窪ませると、そこに味噌汁が集まってきます。それを醤油代わりに使うのです。味は醤油の方がいいなと子供心思いました。香りはとても良かったことを記憶しています。

我が家での臭いは、家内が薪ストーブの上でゆっくり煮た大豆の臭いでした。手作りの麹味噌は床下で眠っています。

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