穴原渓谷の死亡カメラ

2021年4月14日

私が中学生になったころの出来事だと思います。

川遊びも次第に遠出をするようになっていました。自転車で1時間ほどかけて、渓谷で遊ぶようになってきました。川沿いには無料の共同浴場が有り、川から入れる場所でした。川遊びで冷えた体を温めるには最高でした。

一泊位のキャンプは何度か行っていました。五月の連休に新聞やラジオでニースが流れました。「女子大生が川に落ちて死亡した」と言うものでした。私にとって川での死亡事故はとても気にかかりました。良くよくニースを探ると、場所はあの渓谷で起こっていたのです。「何故」あそこで死亡につながったのか不思議でしたし、知りたかったのです。

新聞記事を読んでいくと、岸の下から数人の友人を撮ろうと、川の石に下りたようです。友人たちを仰ぎ見るように、下からカメラを構え写し終えて、上の岩に飛び上ろうとしたが足が滑ったのか、川に落ち流されたようです。

ここからは何故死亡につながったかは、すぐに想像がつきました。下流にちょっとした滝と滝つぼが有ります。この滝つぼは洗濯機のドラムの様になっていて、滝から落ちてきた水は滝つぼの中で洗濯機の中の水流の様に、グルグルと中心から外側に向かって激しい渦になる滝つぼです。ストーンホールと言われている様です。小石や小砂利がグルグルと回りながら岩をすり減らした結果、直径3m位の縦穴の様な滝つぼになっていたのです。ここでも良く遊びました。グルグルとアユを追いかけて遊んでいた滝つぼでした。この回転している水流に飲まれてしまえば、水上には戻れないでしょう。しかも衣服を身に着けたままですから、本当に大型洗濯機の中の様なものです。

「そうであるならば、カメラは滝つぼの中だ」と、確かめ行くことにしました。連休明けの誰もいない時をねらって出かけました。誰かに見つかれば止められるに決まっているからです。すぐに滝つぼに潜れるように、家で着替えを済ませて自転車に乗りました。

到着した事故現場には、ロープが張られていました。事故当時と同じように、滝つぼへ上流から流れ落ちることはせずに、下流から滝つぼに近づき、潜りました。その瞬間に、四つの事が頭を巡りました。①カメラは渦の外側に有った ②5月の水は冷たすぎる ③水量が半端じゃない・水中の渦にグルグル回され始めた。 ④どうして脱出するか。
さあ~どうする・・・・・・・・・・・・・。

そんなに水中で考えていたら自分が、死んでしまう。台風の目に入るように、渦の中心へ移動をした。中心は竜巻のように、砂が渦を巻いて上に向かっていた。足首・膝・腰を折り、水中メガネを通して見えた、泡が出来ていた渦の中心を目がけて、思いっきり滝つぼの底を蹴った。体には何の抵抗も感じないままに、スーと浮き上がった感覚を今でも覚えている。

滝つぼから拾い上げたカメラを持って、岩場に上がり、着替えをしているところへ、警察官が向かってくるように歩いてきました。そして「何をしている」「どうした」と聞かれました。答えは何日も前から決まっていました。

「遭難者のカメラを滝つぼから拾い上げてきました」警察官は「オオ そうか ご苦労さん」と言ってくれたような記憶があります。カメラを警察官に渡し、一連の聞き取りに答えて、また自転車をこいて、家に帰りました。

その後何事もなかったように、学校と家の往復と、農作業と遊びの毎日がつづいていました。今日は学校からの帰り道を、田んぼと川のある田んぼ道を選び、ぶらぶらと帰ってきました。家に着くなり母親が「まごど」と私の名前を呼ぶなり「お前も たまには いいこと してんだな」とゆうのです。(たまには どうゆうこと それはないでしょ でも ほんとうだもんな)
何のことかは分からなかったので「何よ」と母親に問いました。母親はたんたんと語ってくれました。「カメラを拾ったんだって おばさんが住んでいる あの渓谷の滝つぼから」父親の姉が住んでいる近くに渓谷が有り、親も良く滝つぼの事は知っていたようです。さらに母親はこう続けました。「お巡りさんにカメラを渡して ここの住所も言ったのか」「滝つぼで亡くなった娘さんのお母様が 家まで訪ねてきてな」と、「娘の遺品を 滝つぼから見つけ出し 届けてくださり 本当にありがとうございました と 言ってな とても感謝していたぞ」と、母親は誇らしげに語ってくれたのです。でも、大型洗濯機の様な滝つぼで、どのようにしてカメラを拾い上げたかは、聞いてくれませんでした。ちょっと寂しかったけど、私も話さずじまいでした。

回転する水流の中心は、体が流に飲まれてしまう様な水圧はかからない事を、過去の経験から体得していたことを、聞いてほしかったし、言いたかった、と、思ったのでしょう。  


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