薪を見ると幸せだね

 2022年3月14日

 今日の天気は快晴・気温は初夏・花粉症が怖い・室内にもぐる。

 我が家から歩いて5分の所に、この地域で長く暮らしてきた家があります。その家の90歳のお婆ちゃんが選んだ、散歩コースに。

我が家も含まれている様です。時々庭先で一休みをしていかれます。「すごいね・すごいね」「薪がすごいね」と繰り返しながら、薪割り爺さんの薪割りを見て「上手だね・上手だね」「お兄さんは薪割りが上手だね」と言ってくれます。私も「そうだ 若者だ」と薪割りを頑張っています。

先日のお婆さんの一言にハットしました。「薪を見ると幸せだね」と、つぶやいたのです。隣の同年代のお婆さんは「薪棚は寒い北風を防いでくれるからいいよね」と言って下さり、そのご主人は「昔は山で枝を拾うのが競争だった」と語ってくれました。暮らしのエネルギーの全てを薪に頼っての生活を経験されてきた方たちは、薪を見る視点も受け止める感性も、現代の若者たちと違っていました。

私の子ども時代を思い出すと、風呂を薪で沸かすのは私の役目でした。炊事も薪で、室内暖房は囲炉裏での焚き火でした。布団の中の暖房も薪を燃やした赤い炭でした。アンカンと呼んでいました。なんと説明したらよいか分かりませんが、掛布団と敷布団の間に入れておいたものは、30㎝四方でドウム型をした黒い焼き物でした。その中に灰を入れておき、毎晩寝る前に、囲炉裏から赤いおき火を拾い入れるのです。四方に窓が有り、ほのかな暖気が寝床の中に広がりました。

 薪を暖房にしていると、そのエネルギーとなる薪が、日ごとに減って行くのが目に見えて分かります。今年の冬は特に寒かったので、薪の消費もスピードも多く速かったです。ここにきて初夏の様な暖かさなので、薪を燃やす必要がなく、ホットしている今日この頃です。

現代の便利な生活では、昔の薪の生活よりはるかに多いエネルギーを使っていと思います。薪の量が具体的に減って行くような実感を目にすることはできませんが、エネルギー源を考えてみることは大切に思います。

今日②

昨日の日曜日に、薪割り爺さんの庭に、都心からビーバー隊がやってきて、直径10㎝以上もある孟宗竹を、鋸と斧を使ってお椀と箸を作りました。木を燃やしてみたい子は、ご飯をつば窯で炊くカマドの前に陣取り火を焚き続けていました。ふっくらで美味しいご飯が炊きあがっていました。時計型のストーブにつば窯を掛け、お湯を沸かすことになりました。そこを担当してくれたお子さんは、昨年の経験者です。火を焚く前にひとつお願いあると言って、ストーブの回りの落葉を片付け、井戸からバケツに水をくんで「重い おもい」と運んでもらい、ストーブの回りにしっかりと水をまいてから、火を入れてもらいました。秋から春先までの乾燥しきった日に、落葉がある場所での火の扱いは特に注意が必要です。最後にストーブの回りを見てもらい「火はだじょうぶだったね」と、言葉かけをして終わりました。


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