見出し画像

【自粛~不要不急で終わらせる命の可能性~】


昨年来、最もホットなワードの一つ。  《自粛》  すぐ燃える。  『自分から進んで行ないや態度を慎むコト』  誰かから勧められたり、不要不急の条件が課されたり、自警団が組成されたり、そういったコトとは、全く無関係に思われる、なんていうのは、当たり前で、そんなコト、とやかく言われる筋合いにないのが、《自粛》だね。  そちらこそ、《自粛》してもらいたい。  で、私自身、どの位、《自粛》してるかというと、全く、思い当たらない。  慎むコト、があったかな。  元々、誰かと群れるコトがないし、飲食店には、お米を食べ放題する以外は行かないし、一本の缶ビールが精一杯なので、お通しは要らないし。  世界一の発展都市である東京の街や、谷の多い川崎市の複雑な地形や、出張先の初めての土地を、昼夜問わず、歩くコトができているので、旅行なんて行く必要が、私にはなかった。  仕事も、出勤するなという、当時としては不可解な指示の下、自宅と化してしまった賃貸ワンルームのセカンドハウスで、今まで以上に快適な業務遂行ができたし、転職後も、今度は、逆に、朝から晩まで、他の何もする気力も体力もなく、それこそ自ら進んで社畜として、6か月の短い生を全うしたし、フリーになったら、ほんとうにフリーなので、昼間からビールを飲んで、赤ら顔がバレないように会議に参加したり、夜中から明け方までの静かな涼しい時間に、圧倒的なスピードで、仕事を仕上げたり。  だから、《自粛》したコトなんて、あったかな⁉️   私みたいな生活を送れるヒトは多くないかもしれない。 でも、《自粛》なんて関係なく、生きられる証明にはなる。   《自粛》は決して、求められるモノ、ではない。  定義がそもそも、違っているのだ。   視点を変えるために、時代を変えてみよう。  8月なので、どうしたって、戦時中の話が聞こえてくる。  寝てる間に爆弾が降ってくるかもしれない、いつ何時、防空壕に逃げ込まなくてはならない、実際に、この世のモノとは思えない、一瞬で何十万の人生を溶かした、科学の粋を極めた爆弾が落とされたりもした。  《自粛》は、沢山あった気がする。  でも、はたして、そんな時代に、《自粛》なんて求められたのだろうか⁉️   死の恐怖の度合いが違う。  いつの時代も、ヒトは死ぬ。 毎日、毎日、飽きもせず、ヒトは死ぬ。 死に続けている。 それは、止められない。 今のところ。   ヒトは、何で死ぬのか⁉️ なぜ死ぬのか、ではなく、何で死ぬのか⁉️  私は、多くの場合に、思い込みで死ぬ、と、本気で考えているところだ。  事故などの、自分ではどうしようもない事象で、命を落とすコトも、あるだろう。 それは、この場合、除かせてもらう。 ほんとうは含めたいけれど、話が複雑になるのを避ける。   自分が実際に死んだコトがないので、《自粛》のように証明できないけど、それくらいにヒトの思い込みは強い、と、私は感じながら、毎日を生きている。   自分から進んで死を選ぶコト。   これは、人生を慎んだコト、になるのだろうか⁉️   長い時間、意味も与えられず、意義も感じられず、《自粛》なんかを求めていたら、新型コロナウイルスで重症化してしまう以上に、そんな、誰も求めていない、ほんとうに不要不急の、人生の《自粛》が、ホットな時代になるかもしれない。  


それでは。   


 【いつか、また、どこかで】    

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?