昔の仕事と今の仕事。その①

18歳で上京した。引っ越し屋さんやライブ設営、肉屋のバイトをしながら、何気なく通っていたレンタル・販売の大手チェーンでアルバイト募集の張り紙を見つけてその場で応募した。採用してくれたものの、担当社員とは折り合いが悪く、精神力を鍛えられた。今では有名になった漫画家や映画監督、俳優、ミュージシャン…様々なクリエイターが集うその職場は楽しく、自主映画や舞台に出演させてもらいながら、ぼんやりとアルバイト中心の生活をしていた。
ある日、社員に「こんどかわいい子が入るからね」と言われ、その子の初出勤を楽しみにしていた。ところが来た子を見るや否や、先輩社員と顔を見合わせた。今だから言えるけど、『話が違う!』って思った。口走ったかもしれない。初めて会ったときの妻はアフロにしていた。本当にサイババかアポロ(ロッキーシリーズ参照)に似ていた。しかしそんな彼女との間に子供が授かった。人生はわからないものだ。

決断は早かった。育てよう。
でも、さすがに父親がアルバイトでは体裁が悪いので、そこの直営本部の社員に応募した。面接ののちに、契約社員ならという提案をされたが、当時【正社員】という肩書を欲していた自分はその提案を蹴り、新宿の職安に通った。
この間、結婚や反対する両家の顔合わせなど怒涛の経験をしたが、ここでは割愛。
自分で関連のありそうな会社を何枚か印刷し、職安の相談員の人に渡して相談してみた。
「…ここですか?…いや、抵抗がなければいいのですが、ここはその…成人向けの作品を作る会社ですよ?いいですか?」
職安の人も苦笑いで説明されたその会社はソフト〇ンデ〇ンド(アダルトビデオで有名な会社)
説明を聞いてさすがに断った。

結局、「ここなんてどうでしょうか」
と紹介された東京の下町のレンタル店を選んだ。近隣のマンションを給料天引きで5千円で借りることができ、それでも手取り14万円。まあ、苦しいけど悪くない。子供の出産までにはあまり時間もない。ここにしようと決め3日間の研修ののちに、いつもにこにこしていた社長に呼び出された。話を聞くと、入社に必要だからということで【身元保証人の印鑑証明】を持ってこいと言われた。社会常識のない自分は親や叔父に相談すると、
「そんな会社は聞いたことがない!絶対にやめておけ!」
と猛反対された。仕方なく社長に「印鑑証明は難しそうです」と伝えると、社長はいきなりパイプ椅子を蹴飛ばして、
『てめえ!いまさら何言ってるんだ!持ってこれねえとはどういう事だ、ごるぁ!!!!!』
と、それまでの【にこにこおやじ】とは思えないくらいに豹変した。ドラクエで中ボス級でよく見るやつだ。
走って逃げた。ドラマの様だが本当に走って逃げたのだ。屋上のプレハブの社長室から1階の店舗まで脱兎のごとく逃げ、レジにいたパートのおばちゃんに手短に半泣きで話すと、
『あー。社長ね。酒入っているとキレるからねぇ』
と顔色一つ変えずにそう言われた。だめだこいつもグルじゃん。

困り果てた時に、フロムA(当時は雑誌)に載っているから応募してみたら?と、アルバイト仲間に教えられた大手グループ企業の子会社に入社する事ができた。某レンタルチェーンのフランチャイズをしている会社。念願の正社員、当時は21歳。同期は自分のほかに4人いた。その中の一人、親会社のコネで入った奴は、仕事中にトイレでエロ本を見る勇者だった。
長男の誕生は入社して3か月目だった。しかし、予定日よりも3週間早かった為に、伊豆に社員旅行中の夜に「産まれそう」との連絡をもらった。急いで戻ったけれど、病院に着いたときはもう産まれていた。

「お前のおやじはお前が産まれた前日、伊豆のプールでイルカの浮き輪につかまってはしゃいでたんだぞー。間に合ってないんだぞー」
って、一生言われるやつだ。
そこの会社では苦労もあったが、個性的な上司や部下に恵まれ、楽しく仕事をした。2番目の子供も生まれた。大田区や世田谷区、品川区、川崎市とフランチャイズの店舗を転々とした。万引き犯を捕まえたり、芸能人を接客したり、やく〇に脅されたり、利益管理に毎日悩んだりと充実した日を過ごした。赤字の店も赴任すれば黒字にするなど、ある程度仕事も評価されてそれなりに出世した。

しかし、ある時、親会社の判断でその子会社はフランチャイズ事業を清算する事になった。東北の震災の半年前だった。
新年に神田明神で会社参拝をしたのに、9月いっぱいで子会社清算と6月に言われた。神様、せめて年内…。
現場の統括指導役兼店長として事業譲渡先の会社で引き続き働かないか、と打診された。しかし、拾ってくれた会社には恩があるものの、譲渡先の会社には想いもない自分は、地元へ戻る事も選択肢にいれ、転職活動に入った。

就労支援会社も間に入ってくれた。履歴書や職務経歴書の見栄えのする書き方などいろいろ教えてくれたが、その担当者が
『私、こういうセミナーで一番感謝されるのが、就労支援のほかにあるんですよ~』
と謙遜気味に冗談半分で教えてくれたのが、肩こり解消法だった。
ちなみにそこで聞いた解消法を今でもやっているけど、効果はまったくない。効果も冗談だった。
・書類選考を含めると10社は軽く超えていた。30前後だとスキルが少ないと転職先も限られる。大手企業で内定をもらったところもあったけど、辞退した。
なんとなくひとり親を地元に置いておくのも気が引けたので、条件はさしてよくないものの地元でやっている小さい会社に転職した。地元と首都圏を高速バスで往復して面接に臨む姿勢を買ってくれたらしかった。おかげで地元で祖父母を見送ることもできた。

(続く

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