真っ暗な闇の中を彷徨っている
音も光もわからない
どこに向かえばいいのか
いまこの瞬間なにをすればいいのか
なにもわからない なにもできない
ただ、この闇を恐れ怯え震え泣いてる
無になることを求めて強制シャットダウン
時が経てば意識は戻るが
闇から解放されるわけではない
またわたしは闇の中でパニックになり
強制シャットダウン
この繰り返し
ありきたりな表現でほんとダサい
ダサすぎて恥ずかしい
キショ
けどこれがわかりやすいと思う
わかってもらおうなんて微塵も思ってない
わかられてたまるかと思っている
わかった気にならないでくれ
助けなんて求めてない
笑うな殺すぞ
夢が醒める
闇が消える
誰もがいつか死ぬ
闇の中にいたことがない人は、闇の中で見つけた光の、奇跡、愛、重み、命、お守り、人生、大きさ、責任、それがなんにもわかっていないんだと思う。人それぞれの暗闇があることは承知の上で。同じような暗さ、同じような深さの闇を経験した者同士が掴んだ光は、お互いに同じくらいの重みを持つし、お互いに同じくらいの責任を持つ、とわたしは思っている。でも、わたしが掴んだ光の光源を放つ人が、わたしとは全く違う暗闇にいたとすると、シーソーが完全に傾いて、どうにもならない。
孤独や恐怖や悲しみなどの苦しみは、同じ程度のものを抱えた人の共感が必要なんだった。よく生理痛がつらい女たちのほんとうの敵は男じゃなくて理解のない女っていうのと同じことなんだよな。
それが夢だと、その光は消えるものだと、わかっていたとして、手元からなにもなくなったら、また闇に還るしかないのですか?ひとりで這い蹲るしかないのですか?病気ってどうやって治すの?
夢が夢であるとわからない人間に救いはないのか?
救いはないのか、夢なのか、これは夢、と理解しなければ、その夢から醒めたとき、もっと深い闇に堕ちるのか?
そんなことできるのか?
すべてが夢なのか
すべてが夢だった
夢だったけど、もう醒めちゃったけど、
あれは確実にわたしの光で、救いだった
もうそこに戻ることはできないけど、いまここにいるわたしは、あの光に救われた存在であって、あの夢の中で得たもの、感情、景色、しあわせ、経験、時間はぜんぶわたしが覚えている。わたしの血となり肉となり骨の髄まで染み渡った。だからもういいんだよな、夢だったとしても
は〜あ、たのしかったな〜、しあわせだったな〜
わたしが忘れなければ夢だったとしても遺る
あれも、これも、それも、ぜんぶ夢だ
わたしがいまここで生きなければいけないということだけが現実なんだ
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫
ぜんぶ夢だって学べてよかったね
夢だったとしても救われてよかったね
ひとりの人間として、しっかり立って生きていくしかない
できるかわかんないけどね
できなかったらしょうがないね
できそうにもないけどね
いつか闇の底から浮かび上がったらいいね
暁闇、3回観に行ってしまった
映画って、消えないからありがたい救いだ
たくさん救われた
とってもいい映画だ
出会えてよかった
全員がわたしであり、いろいろなことがギューンと思い出されてほんとうにつらかったけど、昇華されていく気もした
声に大きく抑揚をつけるとか、表情をわかりやすくするとか、そういうのがなくて、そこがとても好きだったしそれで伝えることができる役者さんたちや監督さんや編集がほんとうにすごい
ラストシーンの中尾有伽さんの演技、脳に焼き付いて離れないし、ほんとうにすごい ほんとうにすごい ほんとうに
LOWPOPLTD.もすごい、みんなすごい、みんなだいすき
ありがとうございます…ありがとうございますありがとうございますありがとうございます…の気持ち
たくさん思い出すだろうな
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