娘を畳で産んだ話。
私は30も半ばにして注射を心底怖がるような女だ。チクッと可愛らしい音で形容されるあの痛みが怖い。
だから妊娠が発覚したとき、歓びの次にやってきたのは出産の恐怖だった。
鼻からスイカ、お股から赤ちゃん。
諸先輩方は壮絶な例えを使って後輩たちを恐れさせてくる。
先にこの修羅場を潜り抜けた友人たちも、強烈な出産ストーリーで私を震え上がらせた。
絶対に、絶対に回避せねばならない。
そうだ 無痛で、産もう。
無痛分娩。字面がそのまま私の望むものを表している。
即座に無痛分娩が可能な病院を予約した。私の限られた選択肢の中にその病院があったことはとてもラッキーだったと思う。しかしこれで無痛が約束されたわけではない。
無痛分娩には麻酔科医の立ち会いが必要で、まだ無痛分娩が一般的でない日本では、麻酔科医が常駐している病院は多くない。麻酔科医がいないタイミングで産気づいてしまうと、なし崩し的に自然分娩になってしまうのだ。そんなのあり?!
私が予約したところも麻酔科医は常駐ではなく「まあ、無痛分娩もね、できるっちゃできるけどね」みたいな扱われようだった。
こんな感じで本当に無痛分娩できるのだろうか。
だけど私には自信があった。
私は大事な場面で雨が降ったことのない女だ。
万博公園の広場で結婚式をしたときも、あらゆる参加者から台風の心配をされ、実際に台風が接近していたが、雨粒一つ降らなかった。
どうしようもないこと世界代表の天気さえなんとかなってきたのだから、出産だってなんとかなるはず。考えたってしょうがない。こうして私は無痛分娩について心配することをやめた。
そして次は出産自体について情報収集を始めた。Webを徘徊し、本を読んだ。そんな時に出会ったのが『ニュー・アクティブ・バース』という本である。
タイトルや表紙からも、無痛分娩とは程遠い内容なのが伝わってくると思う。ざっくり説明すると、病院任せの受動的な出産ではなく、妊婦が能動的に産もう!という主旨の本だ。
面白かったのは「なぜ出産を仰向けで行うようになったのか」という箇所。
例えば昔の日本では、天井からぶら下がる綱を両手で持ち、しゃがむような形で出産していた。多くの人が大河で見たことあるやつ。ヨーロッパでは座って産むための分娩椅子が存在したらしい。
なんでそんな体勢で産むかというと、重力がお産を助けてくれるからである。四つん這いになったり、しゃがんだり、スクワットの体勢になると、赤ちゃんの通り道である膣が真っ直ぐ下を向くため、赤ちゃんを外へ押し出すのを重力がサポートしてくれる。動物の出産のような感じだ。
ところが仰向けに寝ると膣は斜め上を向く。妊婦は重力とは違う方向に赤ちゃんを押し出すために、より一層力まなければいけない。
ではなぜ現代ではみんな仰向けで産むんだ?というと、医療が発達した中世のヨーロッパから今の体勢になったらしい。お医者さんが器具を入れて子宮内部を確認するのに、仰向けの方がやりやすいから、だそうだ。
重力と同じ方向に産む方が楽だなんて、言われてみれば当たり前に思うけど考えたこともなかった。妊婦に最適化されていたはずの出産の体勢が、医療の発達に伴って医者に最適化されたというのも面白い。
『ニュー・アクティブ・バース』では、重力が手助けしてくれる、四つん這いやスクワット、しゃがむ体勢で産むことを推奨していた。動物のように本能に身を任せる、というわけである。
このような出産方法は仰向けでの出産よりも短時間かつ少ない痛みでお産が進む傾向にある、と書かれており興味がそそられた。
何よりもインパクトがあったのはこの一文だった。
「出産で人生最大のオーガズムを感じる人もいる」
じ、人生最大のオーガズム…?!出産で?!
出産=人生最大の痛みと思っていた私に衝撃が走った。
それは…!おもしろそう…!!!
麻酔を打つと痛みも和らぐが、気持ちよさも同時に薄まってしまうらしい。つまり無痛分娩では感じることができないのだ。
痛いのは死ぬほど怖いけれど、私は「経験フェチ」でもあり、経験のないことを試してみたいという気持ちがすごく強い。
自分が一人っ子なので「絶対に子どもは二人以上欲しい!」という気持ちもそれほどなく、これが人生で最初で最後の機会かもしれない…と思うと「やってみなければ」という思いに駆られた。
やって…みるか…
とはいえ、自分がやりたいからと言ってできるわけではない。四つん這いになったり、しゃがんだり、スクワットの体勢で出産するのは自分の力だけではほぼ不可能なので支えてくれる人が必要だし、当然病院側もそれ用の設備が必要になる。というより特別なものは何も要らないのだが、普通の病院は出産用に特別な設備を置いているので、逆に適していないのだ。ややこしい。
『ニュー・アクティブ・バース』にも、このような出産形態が実現できる病院は日本にはそう多くない、と書かれていた。そりゃそうよな、私も全く聞いたことがなかったし。
そもそも無痛分娩希望だった訳だし、できなくても支障はない。と半ば諦めつつ、出産予定の病院の助産師面談で相談してみた。
「あの、『ニュー・アクティブ・バース』って本を読みまして、あ、この本なんですけど…それで…」しどろもどろ。なんて説明すれば良いのか。
「あー、フリースタイル分娩ね。できるよ。うち、和室あるから。」
え、できるの?
てかフリースタイル分娩って言うの???
「フリースタイル」って、ラップバトルでしか聞いたことないんだが。
ポカンとする私をよそに、助産師さんはどんどん説明してくれた。なんとその和室には、大河で見たあの"綱"が天井からぶら下がっていた。
「これ使った人は今までに一回しか見たことないけどね」と助産師さんはケラケラ笑いながらいった。一回、あるんだあ…。
そうして私はフリースタイル分娩なるもので産むことになった。自分で決めたのだけれど、心の底では「まあできないだろうな」と思っていたこともあり、なんだかよくわからないことになったぞ…というのが本音だった。
さて月日は過ぎ去り、出産当日。私のお産は夜中23時前に破水から始まった。
前日に産婦人科医から「あのね、夜中に産気づいたら、どうしようもない場合じゃなかったら0時超えてから来なさい。0時前に1分でも病院にいたら、入院料1日分の5,000円取られるからね!!」と言われたのが脳裏をよぎった。
でもこちとら羊水が流れちゃってるわけで、万が一のこともあるので急がないわけにはいかない。
用意をして病院に着いたのは23時半。「ああ、30分で5,000円かあ…」などと考えていた。
まず最初はよくドラマなどで見る、ザ!赤ちゃん産みます!的な台のある部屋に通された。一定間隔で襲ってくる痛みはまだ耐えられるものだったが、隣の部屋でお産真っ最中と思われる人が「痛いーーー!痛いーーーー!!」と終始叫んでいて、私は恐怖に震えた。
ほどなくして、用意ができたので、と和室に通された。6畳ほどの小さな和室に布団が敷いてある。奥にポツンと何かを測るのであろう小さな機械がある。でもそれだけだった。
陣痛は次第に激しくなり、巨大なビーズクッションに突っ伏して痛みに耐えた。このビーズクッションを使って陣痛をやり過ごす手法も『ニュー・アクティブ・バース』に書かれていたものだ。さすが和室がある病院。ビーズクッションもある。なんか他にも色々あったと思う(記憶が喪失)。
ビーズクッションに突っ伏しながら「そうか、出産って産む前も痛いんだ…」と今更気が付いて後悔していた。子宮口が全開(約10cm)にならないと産めないため、そこからはひたすら子宮口待ちだ。
この待ち時間の痛いのなんの。痛すぎて「今から無痛分娩にできないんですか?!?!」と叫んでいた。しかし助産師さんには華麗にスルーされた。妊婦の戯言と思われたんだろう。多くの妊婦が痛みに正気を失ってさまざまなことを叫ぶらしい。
そしてようやくその瞬間は訪れた。「全開だよ!産もう!」という助産師さんの掛け声で、いつ終わるかわからなかったこの戦いの終わりが見えてきた。
といっても実際はここからがフリースタイル分娩の始まりである。いざ、四つん這いでもスクワットでも、自分が心地よい体勢になって産むぞ…!
と思ったのに、体が全く動かない。
ビーズクッションに突っ伏していては当然産めないので起き上がる必要があるのだが、力が全く入らない。起き上がるどころか上体を起こすことすらままならない。
陣痛との戦いで、私は体力を使い果たしてしまったようだ。
これが必要最低限の筋力と体力でここまで生き延びた人間の末路である。
助産師さんと付き添ってくれていた母の力を借りてなんとか上体を起こしたもののそれ以上は動けず、結局私はビーズクッションに背中を預ける形で座った。ほとんど体育座りみたいな体勢だ。
なんか思ってたんと違うけど、一応準備はできた。
「陣痛の波が来たらグッといきんでね!!」と助産師さんが言う。
いよいよ!という時なのに、私は困惑していた。
やばい。
波が、わからない。
もう陣痛は最大級になっていたはずなのだが、精も根も尽き果てた私は何も感じなくなってしまっていた。
すぐ隣に陣痛の強さ?を測る機械のモニターが映っていたので、それを見ながら「今か?!」と言う感じで適当にいきんでいたら
「適当にいきまないで!!」と助産師さんに怒られた。
バレてる!!!
なんでバレたのか未だにわからない。プロはすごい。でも何も感じないので適当にいきむしか道がない。
そんな調子でもなんとかお産は進み、あるところで助産師さんが「頭が見えたよ!髪ふさふさ!」と教えてくれた。
へー。そうなのかあ。ふさふさかあ、とぼんやり考えていたら、
「さわってみたら?」と言われた。
え、さわる?
さわれるの?あ、さわれるか!
体育座りなので、簡単に手が届くのだ。言われるまで気付かなかった。
恐る恐る自分のお股に手を伸ばす。
羊水やら何やらにまみれているのでべちょべちょなのだが、娘の頭は確かにふさふさだった。
「ほんとだ…ふさふさですね。」
言葉を発するのも億劫なほど疲れ果てていたのだけれど、なんだか笑ってしまって、同時に泣きそうだった。
ずっと私のお腹の中にいた命。どんどん大きくなるその重み、もぞもぞと動き回るその一挙手一投足を感じてきた。エコーでも何度もその姿を見た。
でも直接触ったのはその瞬間が初めてだった。
あ、本当にいるんだ。私の中で生きていた命が、出てこようとしているんだ。
感動、というよりは確認、という感じだった。
そうだった、そうだった。お腹で命を育ててた。
そこから先は割と早かったと思う。
娘が出てきたときの音を表すなら
ドゥウルウウウンンン!!!!
という感じだった。水羊羹がパッケージから滑り出てくるようななめらかさとダムが決壊したかのような勢いで、娘はこの世界にやってきた。
残念ながら私は「人生最大のオーガズム」なるものを感じることはできなかったのだけれど、娘が出ていく瞬間の気持ちよさといったらすごかった。
産む瞬間の気持ちよさを、排便に例える話をよく聞く。もっと素敵なものに例えたい思いでいっぱいなのだが、確かにそれが最も近い感覚だと思う。すっきり!爽快!開放感!という感じ。赤ちゃんの大きさは便の比ではないけど。
最後の最後に爽快感がやってきたために、終わりよければすべてよしみたいな気持ちになったけれど、陣痛に耐えている間は地獄の時間だった。
フリースタイル分娩と無痛分娩で迷っている人がいたら「いや、めちゃくちゃ痛いよ。わざわざ痛い思いしなくてもいいよ。よく考えよう。」と言うと思う。
だけど過去に戻ってもう一度選ぶとしたら、やっぱりこの産み方を選ぶ。痛みのあまり「今から無痛分娩にできないんですか」と叫んでいた当時の私が聞くと驚愕するかもしれないけど。
生まれようとしている娘の頭を触ったあの一瞬に、全ては凝縮されていたように思う。文字にすると陳腐になってしまうのだが、命を産んでいるんだ、能動的に産むとはこういうことなんだ、と体で感じた瞬間だった。
私はフリースタイル分娩がいいとか悪いとか言いたいわけではない。
出産には様々な形態があり、子どもの数だけストーリーがある。どの出産も文字通り命懸けであり、母子それぞれに合わせた手法が選択されている。
私の場合、あの選択をしてよかった。それだけ。
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