無知の知

私は大学の頃、バンドサークルに入っていた。固定バンド制ではなく毎回のライブに向けてやりたい人とやりたい曲をやるというスタイル。楽器も持たなかった私はボーカルをやっていたのだが、お世辞にも歌は上手くはなく、自信を失くし毎回人手不足気味だったギターとキーボードを始めた。確か、2年の春だった。

こんなことを言ってしまうとミュージシャンの方々からは顰蹙を買うかもしれないけれど、ボーカルはいわばバンドの顔、そして楽器隊は裏方に近い(と私は思っている)。その裏にいると、意外と簡単だと思っていたものが難しかったり、みんなが難なくこなしていることが実は膨大な練習や工夫の積み重ねに裏打ちされたものなのだということが分かったりした。同時に怖くなった。今まで自分が楽器隊にお願いしていたことが無茶振りだったんじゃないか。自分のやりたいことだけを押し通していなかったかと。

ずっと忘れていたことだったけれど、ふとこの経験を今になって思い出す。

いま、私は役者も、舞台音響もやっている。その前はラジオ局でパーソナリティ以外にも裏方は全てやっていた。(収録、編集、番組担当者との連絡、HP管理など)その中で物を作る人をたくさん見てきた。よくドラマや漫画なんかでスタッフを奴隷のように扱う大スター、役者を思い通りにしようとする演出家みたいなのがいるが、幸いああいうのに出会したことはほぼない。逆に意地悪なスタッフからいびられてしまう新人というのも今のところ見たことはない。ただ、その中でもやっぱり差はある。それが「相手の仕事を知ろうと努めているか否か」だ。

例えば、プロの指揮者は全ての楽器の楽譜が読めるよう訓練を積んでいる。それは各々の楽器の特性をある程度知らない限り、相手に伝わるような指示を出しにくいからだ。

別に全ての表舞台に立つ人が裏方のことを知るべきだとは思ってない。逆に裏方が表舞台に立つ人と同じ苦しみを経験してみろとも思わない。それより各々が自分の技術を磨く方が大事だろうし、自分の役割に専念するのが仕事だからだ。

ただ、一つ思うのは「相手には相手の果たす役割があり、彼らもまたそれに専念している」という一見当たり前のことを、誰もが常に心に留めておいた方が良いということだ。

「相手は専門家なんだから、きっと門外漢の自分には知らないことも知っている。その上で何が出来るかを考えてくれている」というリスペクトを誰もが相手に持ってもいいんじゃないか。自分の尺度をねじ込んだところで誰も幸せにならないし、相手に悪気があるか否かは別としても、そういう発言を聞いて悲しい思いをしたことがないわけでは無い。

だから自分自身、これから自戒しようと思う。自分の「当たり前」を疑うこと。相手が分かってくれないのではなく、自分が歩み寄ろうとしていないかもしれないこと。実際私が見てきた一流の人はみんなこれを息をするかのごとく自然にやっている。そういう人に対しては、自分も惜しまずに協力したいし、今までも出来る限りの手は尽くしてきたと思う。そういう循環を作り出せる人はやっぱり素敵だ。

舞台に限らず店員さんやお医者さん、家族や友人に対しても同じだ。その人の全てを知っているわけじゃ無い、いや、むしろ何も知らないかもしれない。だって自分とはどうしても違う人間なのだから。

まずは一歩、意識して自分を変えることからやってみようと思う。その違いに喜びや価値を見出して、感謝の念を持って人と接したい。

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