恥を忍んで

長くなりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

いきなりだが、祖母の話をしてみたいと思う。父方の祖母の話である。


祖母とは実は血が繋がっていない。実の祖母は、父が五歳の時に石炭ストーブの事故で亡くなってしまった。だから私は実の祖母にはあったことがなく、私にとって祖母は後妻である方の女性だ。

祖母は北海道の海側の出身らしい。そちらで一度結婚し、息子を産んだそうだが、当時の旦那からの度重なる暴力に耐えきれず、息子を置いて逃げてきたらしい。その後妻を亡くした祖父と出会い、父が十三歳のとき再婚した。
父の家は祖父、父、叔父からなる完全男家庭だった。だから祖母は私が産まれたときには大喜びして赤い服やら布団やらを買い揃えたらしい。(ちなみに当時もらったミッキーマウスのタオルケットは今も使っている。)
千葉に引っ越す前は祖母の家から自転車で20分ほどの場所に住んでいたため、休みの日にはよく泊まりに行ったし、母が弟を出産する前後は祖母が幼稚園まで迎えにきてくれたのを覚えている。私は優しい祖母が昔から大好きだし、血は繋がっていなくても大事な家族だと思っている。父の元を離れたときには随分と心配をかけたけれど、両親の離婚後は個人的によく連絡を取っているし、泊まりに行ったこともある。流石にもう80を越えているけれど、まだまだ元気でいることに私は安心していた。

そんなある日、今年の四月末頃だっただろうか。朝の6時半頃、いきなり私の携帯が鳴った。市外局番から祖父だろうかと電話を取ると、知らない男性がこう言った。

「お祖母さんが家に帰ると暴れています。今すぐ病院に来てくれませんか」

声の主は看護師だった。私は訳も分からないまま「行くのに多分1時間以上かかりますが……」と話すと、彼はそうなんですか?と狼狽えるように言った。
落ち着いて聞いてみると、祖母は前日から入院していたらしい。しかし、目が覚めて記憶が混乱し、家に帰ると言って点滴の針を抜いてしまったそうだった。私の電話番号は、祖父が緊急連絡先として指定したらしい。看護師さんは、私を同居家族だと思っていたようだ。
確かに、一週間ほど前に左手が痺れて動きづらいから病院に行くと言っていた。同じ話を何度か繰り返すことがあった。何となくそれで覚悟はしていた。が、こんなにも早く入院だなんて。

私は看護師さんにお願いして、祖母に電話を代わってもらった。いつもの祖母だった。入院したことも覚えていた。私はできるだけ何でも無い風を装いしばらく会話し、また看護師さんに代わってもらった。
こういう時期なので、同居家族以外は基本会えないこと。緊急連絡先はとりあえず祖父と私のままにすること。詳しい事情は祖父から直接訊いてほしいということ。とりあえずそれだけ話して電話を切った。

祖父に電話すると、祖母は単に検査入院であるとわかり安心した。そして心配をかけたくなかったから何も言えなかったのだと。緊急連絡先を私にしたのは、父には知られたくなかったからだと言っていた。(聞くところによると父は祖父母と仲が悪いらしく、人のことを言える立場じゃ無いが心配した)祖父は若い頃船乗りで、三十そこそこで塗装業に弟子入りして小さな会社を作った昔ながらの職人気質の人間だ。祖父もきっと一人で抱えていたものがあったに違いない。私は急に今回のようなことがあると驚くので、少なくとも私には連絡をしてほしいと約束を取り付けた。それから月に一度は贈り物をし、電話をかけるようにしている。


この記事を書いている現在、祖母は一応元気だ。ワクチンの接種も2回目を来週に控えている。だけどやっぱり、10分前に話をしたことを忘れたり、荷物が何度も引っ越す前の住所に届いたりするのを見ると、昔のままではいられないことを痛感する。

正直、祖母は前述の通り苦労の多い人生を歩んできたと思う。そして私は祖母にとって初めての孫であり、誕生から成長までを見届けられる子供なのだ。だから私は激しく後悔した。この電話の前、それからその前に電話したとき、私は何を話したっけ。いつも辛い時、どうしても苦しみを抱えきれない時に祖母に電話していた。だから祖母には、泣きながら人生の辛いことばかり聞かせてきてしまった。もっと幸せなことを話していたら、祖母の記憶が薄まっていくことはなかったかもしれない。科学的な因果関係はないけれど、そういう考えが拭えない。

「元気な声が聞けて良かったわ、嬉しい」

今日、電話口で祖母が言ったとき、ふと思い出した。私がラジオ局に勤めていた頃、祖父母に出ていた番組のアーカイブを聴かせたことがあった。今はこの仕事をしている、とても楽しい。そう伝えると、ラジオを聴いた二人は口を揃えてこう言った。

これが、あんたの天職かもね。

祖父母(特に祖母)は昔の人だから、「一流大学に出てちゃんと上場企業に勤めて、しっかり生活しなさい」と言っていた。役者やラジオの活動に関しては、正直あまり賛成していなかったのだ。そんな二人が天職だと言ってくれたことが、いちリスナーとして他の人と同じように楽しんでくれたことが、私は何より嬉しかった。


今日、私はまたRadio Star Auditionに参加することを決意した。

自分が人気がないのはよく分かっている。特別可愛くもなければ曲を作れるわけでもなく、仕事の実績も地味。どれをとっても中途半端。声優でも映像の出演経験はないし、要は自分が「肩書きだけ中途半端な一般人」であることは痛いほど自覚していた。そんな自分が挑戦したところで上手くいくんだろうかと、正直、心のどこかで逃げていた。

でも、もう私には逃げている時間も、うだうだ考えている時間もないのだ。やれるだけやって足掻けるだけ足掻いて、転んだら泥水すすりながら笑顔で這いつくばってやろうと腹を括った。
真っ向勝負では分が悪いので、今回も企画特化型で攻めていく。ファンが少ないことを逆手に取って「一般の人が楽しめるラジオ」を作る戦略だ。どんな人が聴いても損をさせない内容のラジオを作ろうと思う。ほぼ初期装備の勇者がラスボス数十人と戦うためになんとか編み出した戦略だが、確実に勝ちを狙っていきたい。もしそういうラジオに興味がある方は、ぜひ背中を押していただきたいし、私もそれに応えるだけのものを作るつもりだ。

以上、Radio Star Audition vol.3に向けての長すぎる所信表明でした。ぶっちゃけると、Twitterで長文書いたメモ帳画像のっけて「私、ラジオをどうしてもやりたいんです!皆さん力を貸してください」みたいな所信表明を(他人がやってるのは全く気にならないけど)自分がやるのは(キャラ的に)ちょっと……と思っていたし、この内容は御涙頂戴と思われるかもしれないなあ、なんて考えもよぎったが、恥を忍んで書くことにした。

番組が持てたら、祖母の家にポータブルラジオを送ってあげたい。もし落ちてしまったら、そのときはまた祖母に電話しようと思う。今度は、とびきりの笑顔を添えて。きっと祖母は、あの優しい声で何度も同じ話を聞き返してくれるだろう。そのときは何度でも、面白おかしく話してあげよう。おばあちゃん専属のパーソナリティとなって。


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