むかしばなし

 そもそもなんで不登校になっちゃったんだって話をすると、同じ中学の友人も少ない中入学して新環境での振る舞いが絶望的に分からない中で歌唱指導によりメンブレし、対人関係に使える精神のリソースを欠くなか過ぎゆく日時と共に孤立していき、そのタイミングで元々悪かった家庭環境がさらに悪化しセーフティーネットを完全に喪失した状態で夏休みを迎えた…というのがあらすじになる。精神衛生抜きにしても対人関係を軽視していたという自分の驕りはあるけど、だとしても面白いくらい詰んでるなと思う。中学校では割と楽しく過ごせたのもあって家庭環境の悪さを無視できたのが高校に入った途端全く無視できなくなった。夏休み明け中は寝ることしかしてないから何か改善があったわけでもないし夏休み明けはもちろん高校に行ける訳もない。最初のうちは送迎してもらい保健室登校で粘ったものの既に手遅れで、ある日を境に行くのも諦めるようになった。

 高校って一つでも単位足りないと留年になるので、本当に不登校の存在が考慮されていないシステムになっている。12月に教員と面談したときはもう年明けに参加してもらわないと一単位も取れないみたいな状況だった。高校をやめるにあたって通信制への転学というシステムもあるんだが、こっちも全単位の半分くらい取ってないと一年次をやり直すようになるのが大半。そんな中、探していたら…いや探してはないし元から名前も知っていたんだけど、N高等学校とうのが一単位でも取っていれば進級とみなすし頑張れば残り二年で卒業できるらしいと分かった。運営元があのドワンゴだし、学費が他の通信と比べて圧倒的に安い(N高が40万以下で済むのに他は年100万くらい平気でかかる)のもあって迷わず入学することにした。てなわけで年明けは一単位だけ取るべく週一登校をして、その単位は何とか取り切ることに成功。週一登校でも家から出るのが精いっぱいだったし、学校に通うことがどれだけエネルギーを要することなのか身に染みて理解した数か月であった。ちなみに年明けというのは2020年のことだったから、2月末から教育機関はだいたい休校になったというのは記憶に新しいことである。もちろん在籍高校も休校となり、その結果予定していた一単位以外にも十単位近くで出席日数が足りるとのことで取得できたということもあった。転学してからちょっと単位取る負担が減ったから皮肉にも結構救われた。

 この時から今に至るまで本格的に鬱が抜けたというタイミングがないくらい人生が狂ってしまった出来事であるし、将来的に報われるビジョンが見えないので肯定もできず、振り返るのも嫌でずっと自分の中で押し殺しておいたことではある。ただ最近は細切れ的にTwitterに垂れ流すようになったので一回全部書いてみることにした。鬱気味の中で受験勉強も並ながらこなして納得できる大学には入ったけど、この件に未だに後悔が絶えることはないのが実情である。

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