見出し画像

【コミュニケーションについて考える】その一言、余計だったりしない?

今回は、コミュニケーションについて記事を書きます!

お題は「その一言、余計だったりしない?」です。

私の実体験を元に記事を書いていこうと思います。↓

私が、友達と2人っきりで中華料理屋さんでランチを食べたときのことです。

中華料理屋さんにはA~Eの5つのランチセットがあり、AとBのランチセットは1,000円でした。C~Eセットの3つは1,200円でした。

自分はAセット、友達はBセットを頼みました。どちらも1,000円のランチですね。

そしてご飯を食べ終えて、お会計をしようとした際にpaypay払いOKだったので別々にpaypayで支払いすることにしました。私が先に会計しようとしたので店員さんに「自分はAセットの方です」と伝えました。

すると友達から「AもBも同じ値段だから、わざわざ店員さんに一言を言う必要ないでしょ」と言われました。

その瞬間に微妙にモヤモヤした気持ちになったのです。

「仮に店員さんに言う必要なかったとして、その私に対するあなたの一言は、更に言う必要なくない?」って思っちゃったのです。

更に言えば、私がAセットの1,000円、友達がCセットの1,200円だったとします。この場合は値段が違うので、何セットの料金を支払いたいのかを店員さんに伝える必要があります。

今回は、自分も友達も支払う料金が一緒だったので店員さんにわざわざ何セット分を支払うかを言う必要ないじゃんという友達の言い分のようです。

ですが、逆に私は事前に「ランチセットの料金が友達と相違しているか?相違していなかったら何セットを頼んだか伝える必要はないな~」という頭の中での条件分岐って要らなくないか?と思いました。

何も考えずに、「自分は〇〇セットです」って毎回言った方が思考的には楽じゃないんですかねと思ったんです。

ですが、恐らく友達は発言するというコストを抑えたいタイプなんだろなと思いました。私はどちらかというと頭の中の無駄な思考を抑えたいと思っています。

今回のすれ違いは恐らくどこのコストを削減したいか?という価値観の違いから来ているのではないか?と思っています。

ですが、仮に価値観が違ったとしても色んな考え方があるので今回の支払いの例でいうと「自分が何セットを頼んだかどうか、言う必要ない」という一言は余計だったな~と個人的には思っています。

はい、とても器の小さな話でした!ですが、自分も含めて意外と「余計な一言」って発生しているんじゃないかな?と感じています!

だって、「セクハラはセクハラと感じたらセクハラ」と同じように「余計な一言」かどうかは相手の感じ方次第なのですから。

とても耳っちい記事を最後まで読んでいただきありがとうございました!!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?