202304(抜粋)

20230402

セッション会。午前はイマイチままならず。言葉と思考を杖にしてある人同士の会話に目が覚めた。ツンケンしてごめんなさい。気分に振り回されたかもしれない。きちんとした人は怖い。
伸びてる、伸びてる。

20230403

他人の写真を撮ることや絵を描くことは、おまえを見ています、目を向けています、と突きつける不躾な行いだと思う。他人のことって見ていいんでしょうか。見たいんですけど、すみません……。

20230405

図書館でスケッチ集を70冊程流し見る。
この人は幸せだったろうか。毎日苦しくなかったろうか。誰かに愛されたろうか。私がこの人の絵を見ることはこの人の救いになるだろうか。素描はその人の情念、不安が直接見えて苦しい。幾何学模様を用いることは不安への対処法なのかもしれない。線を見るか、シルエットを捉えるか、それは完成形の問題ではなく、何を見るか、過程の問題であった。対象への愛ってバレる。対象への愛ってわかってもらえる。愛を手がかりにすれば宗教画の見方も変わるかな。何度も何度も描きたいなら同じものを書いて良い。模索執着観察。信頼できる線を引けるということ。変な服はそれだけでかわいい。奇妙な人体は服を着るとさらにシルエットが歪んでかわいい。変、って俗に言う美しさのこと?黒が大事。奇妙な人体って妙におしゃれ。黒ってそれだけで大丈夫な光。ターナーは正確に知識しているのに朧げにしか記さない。
120冊見るうちに、その一枚に描かれている苦、愛、孤の割合が見えるようになってきた。それらがみな近しいものであることもわかった。どれだけ激しい感情から生まれた激しい表出であっても、絵は動かないし音も出ない。静寂にパッケージされる。激情があるからと暴れ回ればいいわけじゃない。

20230417

セロトニンのコントロール。セロトニンのコントロール。セロトニンのコントロール。

20230419

何もかもを言葉であけすけに明かすことをよしとするような態度を見ると、私は、何でもかんでも説明してもらおうとするんじゃないよ、と頑なになる。他人の内面を踏み荒らすようなところがある。

20230420

沈みながら昇ること。
右人差し指、成熟瘢痕に寄り添い朱を入れてもらう。コンポジション。思っていたほど痛くない。注射より浅い。痛みや喜びで興奮する。一度入れると増えていくことも、痛みを通過儀礼だと捉える人がいることも納得がいく。興奮する程度の痛み。
谷崎の『刺青』を思いつつ。

20230421

約束の時間に1時間遅れてきたO君を待つ間に、1缶をお供に、浜辺で身長80cmの子供と体長90cmの犬をニヤつきながら眺め散歩した。潮の香りとは飲めない水の匂いだと感じた。飲めない水の匂いさえ穏やかさに数えた。波音とは近くと遠くとで鳴るのだと知った。
空中ブランコというものを初めて目撃した。運動エネルギーに溢れつつも優雅で、人はここまで天使に近づけるものなのか、と感激する。もしくは、人はここまでしないと天使に近づけないものなのか、と。

20230430

疲れすぎて寝付けるか不安なほど。

横浜の中華街を覗いた後、KAATで仕立て屋のサーカスを見る。自然界みたいに。今まで見た全ての中で一番好きだと思えた。
夜は地下ライブハウスに寄った。

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