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ド盆、ニヒリズムを焚き上げて

用があって入谷に降りた。
予定の1時間前に町に来て、喫茶店にでも入ろうと思うもどこも開いていない。ドトールすら閉まっている。個人経営の喫茶店に盆休みがあるのはいいけれど、店主療養のため休業しててもいいけれど、18時閉店でもいいけれど、チェーン店も閉まっているなんて、これが盆か。町が盆だ。この町には冷房がない。蒸し暑い。こう暑くては先祖も来ねぇ。

私と家族が暮らす家には仏壇が一つある。父の部屋にある。盆は父が夜を怖がる。この期間は仏壇をそれぞれの部屋に日替わりで置こう、心霊を持ち回りにしよう、と提案したが、母に却下された。妥当だ、あれは父方の親戚の仏壇だ。

私の家には冷房がある。ギリ先祖来る。父は怖がる。入谷には来ねぇ。入谷には冷房がないから。

喫茶店を求めて30分彷徨った。Googleマップも食べログも大体嘘をついていた。開いている店はなかった。仕方なく集合場所に向かう。鶯谷に近づくほどに飲食店が現れる。はじめからこっちにくればよかった。盆休みでなければこうはならなかった。

コンビニでサラダラップを買って食べる。せっかくなのでホテルが並ぶ路地を歩きながら食べる。受付には女性が多いのだと、ラブホの壁面に貼られた求人張り紙で知る。鶯谷公園には屋根と壁と扉と空調設備が備わった喫煙所がある。こじんまりとした公園に対して規模のデカすぎる喫煙所だ。中は外より蒸し暑い。黄ばんだクーラーがうんともすんとも言わない。ここで火をつけても先祖は迎えらんねぇ。ド盆が。

パチンコ屋のお手洗いを借りたら、ペーパーホルダーの上に液晶モニターが付いていた。きっとここがこの町で一番豪華な個室だ。鶯谷が嫌いになった。

パチンコ屋と鶯谷公園の狭間をカニ歩きすると目当てのライブハウスがある。ステージの背景はカーテンのドレープ、客席は半円、関係者は2階席。可愛らしい会場だった。開演すればドレープの彫りやギターのペグが照明を反射してビカビカする。ボーカルは愛的な話をガナっている。愛という根源的な内容を叫ぶという根源的な手法で表出されているのだから今聴いている音楽は強靭であるはずなのに、弦を引っ掻いた途端に音は消えたから、物事はそこに確かにあることはできるけれど、かつてあったことを証明することはできないのだなと思った。生きた証を残すことはできない。

愛的な話をガナる者だからといって愛を盲信しているとは言えない。もしかしてあれはニヒリズムに抗うための運動なんじゃないかしら。いいえ、本人の態度を推し量ることも決め付けることも私にはできないけれども、しかし私は歌う人を見ると、ニヒリズムからすくわれる思いがする。この人が、わざわざ人前に姿を晒して、「おれには他者が必要なんだ」と歌ってくれて、助かった。我々はニヒリズムに浸ってはいけないし、抗うために言語と肉体を手放してはいけないと思う。自分の肉体を認めなくちゃならない。ニヒリズムは、ダサい。肉体を認めるために叫んでもいいし走ってもいいし踊ってもいいし花火の爆発音を腹の底に感じてもいいし服を着てもいい。肉体はそれだけでここにある存在の証明と主張になる。

バンドグッズのライター買った。銀ピカで可愛い。可愛いものを眺めると嬉しい。帰りにクレープも食べた。コーヒーのお酒も飲んだ。満ち続けたい。次は、ミラーボールを買いたい。

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