死にたい気持ちと戦っている

死にたかった。

死んでしまいそうだった。

自分に殺されそうだった。


生理前。
やっぱり、生理前なんだ。

ことの発端は、給付型奨学金の打ち切り。
金曜のお昼すぎ、母親から電話が来た。

「授業料、こんなに高く支払えって通知が来たんだけど」

日本学生支援機構の行なっている給付型奨学金は、お金の給付と授業料減免がセットになったありがたいパッケージである。
このパッケージには三段階あって、家庭の収入に応じてもらえる金額と減免額が変わる。
毎年10月に収入に応じてランクが更新され、ついこないだまでは満額給付とかなり減免されているところにいた。
けれど、それが急に打ち切りになったのだ。

理由は、父親の今年四月の確定申告だと思う。

ただ、父親がいくら稼ごうが私には全く関係ない。
父親と母親は再婚で(以後、再婚相手の父親はニューパパと称す)しかも別居婚。こどもたちがもう少し大きくなるまでの配慮だろうと思う。
当然、こどもの生活費も養育のための費用も母親だけが負担している。私としても、それで良いと思う。結婚していきなり莫大な学費を負担しろというのも酷な話で、こちらとしても申し訳ない。まぁ、生計を別にするんだったら、児童手当のために籍を入れないでほしかったのが正直なところ。

でも、母親を私はせめられない。母親だって人間だ。こどもに縛られてほしくない。結婚前からニューパパとの楽しそうな話を聞いていたり、母親が楽になるなら結婚してほしいと思っていたから結婚してくれて良かったと思っている。

まあ、そんな背景がありつつ、学費や家賃は奨学金(借金)でまかなっているんだから、できるだけもらえるものはもらっておきたい。

奨学金も生計維持者は原則戸籍上の両親としているわけで。私のように、両親がいるように見えるけど、内実は別居婚で生計維持者は母親のみという隠れ母子家庭は想定していないはずだ。

社会の模範からズレた私の家族によって、給付奨学金が打ち切りとなった。

そして、このことをパートナーに話した。
いつも、その日のことを電話で報告する中で。

パートナーは強い人。あと、私よりももっと模範的な家庭で育った人。
死にたいなんて思ったことない人。
そんなところが好きで付き合っているけれど、時々2人の違いが傷つく原因になることもある。

この時も、パートナーは強かった。模範的だった。
社会の厳しさを伝えてきた。

けど、私は話を聞くごとに自分のいる環境とパートナーとの違い、社会とのズレ、抱えた借金の大きさに、悲しみしか感じられなくなってきて涙で話ができなくなっていった。
話ができなきゃ反論もできない。
そうじゃない。今生きていることだけでも褒めてほしい。

その日は私の無言で電話が終わったのだが、そこからが戦いだった。

パートナーからは遠巻きに責められたように感じ、別れた方がよいのか思い悩み、奨学金でしか大学に通えない自分の生まれた環境を恨み、これ以上収入源を増やす時間を勉学から割きたくない自分は甘えているのかと自分が嫌になり、思考がぐるぐると「死にたい」要素をかき集めていった。

最近の生理前は、ある程度ピルと漢方で抑えられていたから、ものすごいイライラとか破壊衝動はなくて、ただただ死にたいと思い、死を想像するだけだった。

けれど、今回はストレスも重なって泣いている間に衝動にかられそうになった。死にたい。壊したい。引き裂きたい。

あぁ、中学生の時、よく衝動で物を壊していたなぁ、と。懐かしい感じ。

ぐっと手に力がはいって、野菜を切っている最中だった手を抑える。
泣いていてもお腹は減る。

あぁ、死ななかった。痛くなかった。

もう、いかに死にたい衝動と対峙して耐えるかが勝負だった。
2回くらいあったかな。
死を考えているだけなら、まだ少しまし。つらいけど。
私の本当の意に反して本当に死んでしまいそうだった。まだ耐えれているのは理性があるから、きっとまだ死にたくないんだ。

私の中で死にたい気持ちがあふれて、いつか私に殺されてしまう。

次の生理前が怖い。

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