愛すること

「ご自由にお書き下さい」

noteに2ヶ月ほどログインしていなかった間にこんな文言がサラのnoteに表示されるようになっている。
確かにご自由に、なんだけれど私的にはふらっとつぶやきの延長上だから、こんな堅苦しい言葉にクスッと笑ってしまった。


雑談はさておき、といってもこの先も雑談だし
徒然なるままに、つらつらと進む道も考えもなく書いていくのだけれど。


今回は恋することと愛することについて私なりの考えをしたためたいと思う。

私にとって「恋する」ことは苦でしかない。
好きで好きで、相手を独占して私しか見れないように縛り付けておきたくなるからだ。独占欲の塊が恋だと思っている。
だから恋しそうになったらその芽は摘み取るし、もちろん自分からアプローチなんて絶対ない。

じゃあ「愛する」ことは私にとってどんなものだろう、と考えたとき
相手の毛穴ひとつまで愛おしいと感じることだと思う。

いまのところ。


「愛する」に到達するまで、私から「愛する」ことは無いと思う。

相手から恋情なり好意を向けられて、徐々に私は愛するようになっていくんだと思う。
私にとって一番好きな人は私だから、その私を好いてくれた人はもちろん気になるし、同時に愛せるようにもなるわな。

そういうことです。


ある意味、愛した相手しか私にとって友人にもなり得ない。

すごい重い人のように思えるけれど、これくらいじゃないとこの世界やってけねえよ。




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