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野育ちの台頭

朝はそれなりに混み合うが、帰宅となれば電車も空いている。
と、あちらこちら野育ちが目立ち始める。

どうしてなのか、深くは腰かけない。
ひどい痔なのかもしれない。

長いというほどではないが足を組みたがる。
悲しいかな長さが足りず不自然な姿勢で前なり横なりにはみ出る。

年齢には、あまり偏りがないように思う。
いつでもいたが、電車が空いているため悪目立ちする。

いっぱいまで足を伸ばし、いっそ寝ころぶに近い体勢でスマホを眺めていたり。ソファよろしく斜めすわりでくつろいでいたり。

どうにも公共の場だと思うので、見ているこちらが心配してしまう。
常人の神経かと疑ってしまいそうになる。

たとえば大酔っ払いが座席につっぷする様を見たりもするが、そもそも酔ってはいなさそうなのだ。酔っぱらってもおらず、まわり気にもしていない。
もしくは、気にする必要がないと思っているのか。

ふと、「素行が悪い」わけではないかもしれないという思いが過った。
おかしな身なりということもなく、どちらかなら、きちんとしてはいる。
それでも野育ちのような立ち振る舞いができる状況とは何か。

誰も咎めないだろうという意識かもしれない。
そう思えば、いろいろしっくりくる。

まわりに知人や友人、同僚でもいい。
そのひとを知る誰かがいれば、そうはしないのではないか。

大通りを1つ入った自動販売機の前なら、煙草を吸っても問題ない。
見咎められなければ、飲み終えたコーヒーの缶をそこらに転がしてもいい。
そんな理屈と同じだ。
が、空いているとはいえ電車の中である。

それでも、してしまう。
咎められないから、である。

そんな大人が、ごろごろといる。
どんどん台頭してきている。

仕事を終えて帰るたび、げんなりする。
家について妻に話すと「そんなもの気にしなければいい」と言う。
が、気にしなくなればそれは同じではないか。

すると妻は言を継いで「ダメなひとは、何をしてもダメ」なのだそうだ。
気にするだけムダなので、気にしなければいいということらしい。

なるほど、もうダメなのか。
そう思えばしっくりきた。

もうダメなのだから仕方がない。
とすれば、仕方がないが多すぎる気もするが。

それも仕方がないのだろう。
何せ、もうダメなのだ。