おまわりさんの正義を信じているあなたへ

実際に「市民の安全を守る」という思いで日夜勤務している方もいらっしゃるのだろう。が、たとえば大半は「新鮮なレタスを食卓に届けたい」だとかの職業的キャッチコピーと同じく、警察学校でそう習ったという程度の正義感であると私は思っている。

20代の女の子が謂れ無い罪を認めろと脅されて帰してもらえなかった。
とんでもなく怖かったことだろう。

ひどい事件だが、きっと似たような話はいくらでも転がっている。
終わった事と申し出ないひとはいくらでもいるだろう。

かく言う私も、そのひとりである。

ところで「誤認逮捕」が事件として扱われない事が私には大変不思議だ。
「誤認逮捕された問題」ではなく「誤認逮捕された事件」だと思う。
もちろん被疑者は誤認逮捕した警察官となるだろうし、された側は被害者であると思うのだが。

さておき、ある時期に万世橋警察署管轄内で横行していた「刀狩り」に私がハメられたというだけの、その頃であればありふれた話だ。この女子大生に比べれば些末は内容でもある。少なくとも当時、界隈では「棒に当った犬」よりも転がっている話だった。

いっそ、あれだけしておいて2008年に秋葉原通り魔事件を起こさせてしまう節穴ぷりに呆れたものだ。

私の体験から、当時の常套手段をお伝えしたい。

①言い掛かり
時間は夕方より少し前で、土曜日の夏だった。
私はメイン通りの1つ裏になる道を、上野広小路の駅を出て秋葉原へ向けて歩いていた。裏道を通ったのは少しでも人通りを避けるためであった。

向かう店がメイン通りの逆側だったので、いちばん人通りの少ない路地を左に折れた。
そこで、呼び止められた。
「ちょっといいですか?」
警察官の制服を着た、二人の男が私を囲んだ。
うちひとりが言った。
「ベルトに下げてるキーホルダー、確認させてもらえますか?」
私のベルトには、自宅のカギと革のキーホルダーと、そしてVictorinoxのクラシックALという十徳ナイフがぶら下がっていた。
ヤスリとハサミと4cm弱のナイフという組み合わせのマルチツールである。
言われるがまま、何の気もなくそれを手渡した私に警察官の制服を着たひとりが言ってのけた。「さっき我々を見て、違う道に行こうとしましたね?」もうひとりが言を継いで「署までご同行を願えますか」
4cmに満たないツールナイフで、かくして私は連行されることになった。

②取り調べ
中小企業の打ち合わせスペースのような部屋に通され、改めて宣言された事には「理由なく刃物を隠し持っていたため逮捕の可能性がある」という。
①で書いた通り、ベルトに吊り下げていたキーホルダーである。警察官も「ベルトに下げてるキーホルダー、確認させてもらえますか?」と尋ねた。が、私がパトカーに乗せられて取調室に入れられる間にそのものは没収されており、キーホルダーと十徳ナイフの間には"何かポケットの奥へ忍ばせる事の出来る長さのものがついていたことになっており"、私はナイフを忍ばせて歩いていた犯罪予備軍となっていた。
ここから4時間ほど「ポケットに隠していた」ことを認めるまで帰れないと何度も告げられることになる。最初の1時間で、この程度では当直弁護人を呼べないので、認めないと帰れない旨の押し問答には飽きている。かくて、あとは我慢比べだった。
ちなみに警察側の言い分は「ポケットに隠していたことにすれば厳重注意で済ませられる。例えば、賞罰欄に今日の事は書かなくて良い」扱いになるという。私に「警察機構」への信用を失わせるに足りる言い分だった。

③葛藤
取り調べの間、彼らのパターンは1つだった。マニュアルでもあるのだろうか、とすら思えるほどだった。
1).所持しているのは違法であったと臭わせる
2).些細に事実を曲げて、こちらが隠し持っていた事実を根拠にする。
 ※この点だけは議論せず、そうであるという前提で話してくる。
 =隠し持っており危険の認識もあったが現在は没収して反省もしている、というのが台本のオチであるらしかった。
3).あまりにもくだらないが「認めないと帰さない」が強制力で、彼らには待てるだけの時間がいくらでもある。そのため、隠し持っていたでいいね?→帰れないよ?→退室(小休止)が繰り返される。
私も最初こそイライラしていたが、そのうち呆れ、腹も減ったので諦めた。

④「じゃあ、帰りたいからそれでいいです」と伝えると、彼らの動きは驚くほど早かった。彼らに必要なのは、私が帰りたがっている事実ではなく、自白した事である。帰りたいから、という点は無視された。で、どうなるか。用意されていた文章を一言一句と違わないよう直筆で書かされるのである。これが自白の証拠かつ反省文で、同時に厳重注意に対する書類が成立する。その後、別室で肘から指先までをスキャンされる。
※指紋だけではなく、肘紋も残すのだろう。
本当にあっという間で、それまでの時間が嘘のように、あっさりと私は外へ出された。私をパトカーに乗せた警官のひとりが、私を見送り声をかけた。
「気を付けるように」と。
まさか私も、警官から「警察には気を付けるように」などと言われて見送られる現実があるとは想像だにしていなかったが。

たとえば海外で、知らず連れて行かれ「帰国したければカードで貴金属類を買えるだけ買って置いていけ」というトンデモ詐欺の話を聞いたことがあるが、まさか自分の国で似たようなハメになるとは思ってもみなかった。
それも、いっそ金品目的ですらなく、ただ仕事成果のためというのだから笑いすら出そうになった。

繰り返すが「市民の安全を守る」という思いで日夜勤務している方もいらっしゃるのだろう。が、聖人君子だけが警察官になるわけでもない。
むしろ誰にでもなれる"職業"に過ぎない。

警察という組織は事実ではなく彼らの目で見た証拠で判断するのである。

証拠というのは、事実や真実を証明する拠りどころのことだ。
彼らの解釈は変幻自在で、証拠がなければ否定材料がないとされたりする。あればあったで、たとえ可能性でも悪であると決めて掛かる。

何かに似ていると思い返してみたところ、インターネットの上に横行する正義とそっくりである。その判断の曖昧さや何より恐ろしく危険であることを我々は毎日のように目にしている。

彼らは腰に実弾を込めた拳銃を下げて、そこかしこにいる。

少なくとも4cmの刃物より物騒なものを下げて、そこかしこにいる。

だが安心していい、専門の学校を出ている彼らは正義である。