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遠い昔、はるか彼方の銀河系で…

Episode.IV「A New Hope(邦題:新たなる希望)」の公開は、1977年だ。

9つで全編となる物語の最後は昨年末に封切られ、現在も劇場公開中だ。
「The Rise Of Skywalker(邦題:スカイウォーカーの夜明け)」である。

一家一門の物語を壮大に描いた長編をサーガと表するが、この42年をかけて完結した物語は、まさにそうである。

主人公は、と問われると悩む。
それぞれ単体の映画として主人公はいるのだが、サーガを通しての主人公となると難しい。あえて、であればルーク・スカイウォーカーだろうか。
私はサーガとしてアナキンやレイが主人公足り得ないと思う。が、ルークと言い切るのも違う気がするのだ。

そのくらい新三部作が仕上がっていたというのが大きい。

ルークという青年からはじめた物語を見事にスカイウォーカーの、ひいてはジェダイの叙事詩として幕引きした。

賛否両論があるのは、わかる。
いっそ、42年かけた物語の終わりに賛否も巻き起こらないとなれば、それはもう聖書のようなものか、よほどの駄作だろう。

ただ、私としては大いに満足した。

「The Rise Of Skywalker」の上映時間は142分である。

観終えて、トリハダのもどし方を身体が忘れているくらいの感覚があった。
思い入れがなければ、ただのスペースオペラである。
それはそれは、スタッフロール早々に立ちされる方もいるのは仕方がない。
が、私は館内に明かりが戻っても暫く席を立つ気にならなかった。

私の人生は「フォースと共に」ある。
少なくとも頭の隅あたりに、常にあった。

妻と、入籍はいつにしようかと話していて、それは元号発表のタイミングにあわせて、平成か新元号か、響きの良いほうに決めようという事になった。
令和であると発表され、いざ最初の日に入籍しようときまったときである。
ふと過った考えを口に出そうとして、断腸の思いで私は飲みこんだ。

ほんの数日ずらせば5月4日だ。
「May the 4th」なのだ。

妻にしてみれば、くだらない思いつきに過ぎなかっただろう。
ただ、それでも言ってみるべきか躊躇いはあった。

そして、ジェダイの教えに准じた。

There is no emotion, there is peace.
衝動はなく、平和がある。
There is no ignorance, there is knowledge.
無知はなく、知識がある。
There is no passion, there is serenity.
熱情はなく、平静がある。
There is no chaos, there is harmony.
混沌はなく、調和がある。
There is no death, there is the Force.
死はなく、フォースがある。

これから何十年とある中で、それは私の衝動に過ぎない。
私はジェダイの教えを知っており、勢いだけに駆られるファンではない。
この先で必要になるのは調和であり、最後にはフォースがある。

ここまで書くと宗教染みて、自分でも馬鹿らしい気すらする。
ただ、わりに実生活でもジェダイの教えは役に立つ。

満員の通勤電車で、暗黒面に引っ張られることも多々あるが。

さておき「The Rise Of Skywalker」である。
この週末で公開から1か月、すでにスクリーンは少なくなってきている。

好きな方であれば、もう観たという方が大半だろう。
あるいは、これから観ようという方の中には、ともするとスターウォーズが初体験というひともいるかもしれない。

もしそうならば、やめておいた方がいい。
きっと知らずに観ても、わからない。

物語は見事に着地し、素晴らしく完結する。
ただ、それきりの映画ではない。

これ以上ないファンサービスに満ち満ちている。
全てのシーンで、どこかにオマージュがある。

知っていれば、きっと気がつくだろう。

ここにも、そこにも。
ほら、あそこにも。

フォースは目に見えない。
ただ確かにそこにある。