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だから私は小説を書かない

「そんなに暇なら小説でも書いてみたら?」


2020年4月下旬、コロナ禍に実家の母と電話している時に唐突に言われた。

「自分で物語をつくる」

誰もが子どもの頃に一度は思ったことを、この歳になって言われたことが、とても新鮮で、違和感で、この気持ちをどこかに残したくなった。

結論はタイトルの通り「私は小説を書かない」


簡単に自己紹介させていただきます。

現在30歳、映像系のフリーランスととある教育機関でIllustratorやPhotoshopを教えて生計を立てています。

今まで浪人や留年、中退などを全くしたことがないまま新卒で広告系の映像制作会社に入社し、2回の転職を経て、2019年4月からフリーランスになりました。やっと生活費以上の収入が見込めるようになった2020年3月、新型コロナウイルスの影響で2ヶ月程度仕事が全部なくなり今に至ります。

殊勝などなたかがこの日記を読んで、ご興味もっていただけるようなことがあれば「仕事を辞めた理由 パワハラ・長時間労働・同調圧力篇」みたいに書こうと思います。


さて話は戻りまして

「書くの? 読むんじゃなくて?」

「そう、書くの。仕事もしてなくて暇だろうし、脳を使ってないからちゃんと寝れていなんでしょ? それなら書いてみれば」

その日の会話はそれ以外特筆することはなかった。小説は書かないけど、こうしてnoteを始めたあたり母の勝ちだった。

数日経っても「小説を書く」という言葉が頭から離れない。私は考えてみたが久しくちゃんとした文章なんて書いたことがなかった、だからこそ文章を書いてみるのは良いのかもしれない、と思い始めていた。どこで文章を書くためのリハビリをしようかな。Facebookーー仕事のために作ったから使えない。Twitterーーひとつは仕事をした人たちをフォローしている無言アカウント、もうひとつは学生時代に使っていたニュースチェック用アカウント。この二つのプラットフォームはどちらもつながりがあり使いづらい。そこで思いついたのがnote。全く新しいアカウントを作って友人に教える気もなく、ただ隠すつもりもなく、情報の海を漂う日記として使ってみる。やはりオンラインは最高だ、ちゃんとしたものを書こうとするから。


noteは意識が高い、本当に意識が高いと思う。意識が高い人も多く集まっている印象がある。

しかし私の文章はとても意識が低い。意識の低さは自信がある。今も使われているかわからないが「チラ裏」の自覚がある

「チラシの裏」とても詩的で好きな表現。関係ないが先日、ファンタジー世界に生まれた時の適職診断なるものをしたのだが、吟遊詩人に向いているそうだ、詩的。

noteを使うからには意識を高く持とうと思う、意識が高いところを意識低く使うことに意識を高く持とう、と。ただの言葉遊びですが。


始めてみたら結構なんでもできると知った。長文、短文、写真に動画、音声投稿。

もしかしたら、私はここでなら小説を書けるかもしれない、と思った。

書くならば目標は欲しい。様々な文学賞を調べてみた。とても大変、とても地道。


ところで私は無趣味である。やることがない日はテレビや映画を見たり、年に数本ゲームをしたり、本を読んだりするぐらいで、それ以外は何もしていないと思う。それらを禁止されたら布団から出ないぐらい何もしない。


映像を仕事にしたことで映像を見ることは仕事になった。

エンジニアと仕事をするようになってプログラミングは日常会話になった。

もう少ない趣味を減らしたくない。

だから私は小説を書かない


ここまでの文章を書くのに約1時間、文字数は約1500文字。

目標を15万文字としたらこの100倍。とてもそんなに書ける気がしない。

だから私は小説を書かない


飽きっぽい私が、もしこれからnoteをちゃんと続けることができて、

小説を書ききる力がついた時、noteは書いていないと思う。

だからここに書き続けている間は私は小説を書かない



だから私は小説を書かない






追記

このエピソードを書いてみて、格好つけた感じのそれっぽい文章、それっぽい締め方をしたけど、noteの体裁に合わないし、自分に酔っている感がすごいし、思ったほど面白くなかったので、次回からは普通に書くことをここに誓います。

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