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【中国戦記】蚊とのたたかい 2005/9/16

街ではあちこちで月餅を売る店が見られるようになり、中秋の節句を迎える時期になった。
秋というと、なんというかこれまでの夏の喧騒が遠ざかり風涼やかに吹き人心安寧たり而して馬が太るという風情豊かな季節である。
わけても秋の夜長ともなれば花札のボウズを想起するまでもなく、夕空晴れて秋風吹き月影落ちて鈴虫鳴くという·、げに素晴らしきサンチマンタリズムな時間の演出を楽しめる、はずであった。
世の中思うように行かないのは中国の常である。

昔、開高健の講演の録音で、南米のマラリア蚊の習性を興味深く聞いたことがあった。
なんでもあの小さな蚊に内蔵されている体内時計が実に正確で、午後6時ちょうどになると息もできないくらい空気が蚊で充満するのだが7時になるとこれが全くおさまり一切活動がなくなるのだそうだ 。
つまり1日のうち勤務時間が18:00から19:00までの実働1時間という大変うらやましい待遇でシゴトをしているのがアマゾンのマラリア蚊なのだという。 
加えて最近の私の研究によれば蚊に内蔵されているのは体内時計だけでなく温度計とこれに連動するサーモスタットもどうやら備わっているらしいことが明らかになりつつある。 

当地広東省で蚊がもっとも跳梁するのが3月下旬より5月上旬であり、この時期は蚊による被害がもっとも大きい。 
なんといってもこちらの蚊は着衣の上からでも強力に攻撃を加えてくる上に、中国の建具関係は隙間だらけのガタガタなので進入路には事欠かないようだ。 
従って半ズボンで夜事務所にいるとたちどころに被害を受け、なかんづく足の裏および頭皮などの部位に被害を受けた場合筆舌に尽くしがたいカユミに呻吟しなければならない。 
普通の人であれば頭皮を蚊に食われるという経験はあまり無いと思うので敢えて解説すると、頭皮はそのすぐ下に頭蓋骨が控えているため毒液が皮下方向に向かうことができず横方向に同心円状に広がるのであるため、カユい面積はたとえば上腕部若しくは大腿部を刺された場合と比較して相対的に広くなり、かつ当該部位の皮膚全体がケイレンしたかの如き強烈なカユみに襲われるのである。 
なお防御物たる頭髪も五分刈り程度なら十分蚊の射程内で、一時期試したスキンヘッドに至っては蚊に対する非暴力非抵抗主義を身を以って示すようなものである 。

故あって頭を丸めていた時期があった


さて、非暴力非抵抗では大陸では生きていけないので蚊に対する安全保障も当然講じなければならない。 
非武装中立などというタワゴトは蚊には一切通用しないのであって、然るべき防備を固めるべく当社常平駐屯部隊は相応の装備を保有するに至ったのである 。

まずは国際協定で使用が禁止されているBC(BIO/CHEMICAL WEAPON)兵器である 。
わが国が生んだ金鳥蚊取り線香はその優秀性が世界で認められ、大陸においてもライセンス生産されていることは防衛白書には書かれていない秘められた事実で、常平駐屯部隊ではこれの使用に際しては古式に則りブタの形をしたセラミック製器具を正しく使用している。
 
またBC兵器には攻撃性の高いスプレー剤の噴霧というものもあるが、「必殺」とか書かれたこちら製の殺虫剤は友軍に対する被害も懸念されるためその使用は控えている次第である 。

続いて高圧電流を応用した電撃兵器があり、これには主に防御に用いるものと積極的攻勢に用いるものの両者に大別できる 。
前者は有色蛍光灯を併用して対象をおびき寄せ、高圧電流で以って焼き殺す構造であるのに対し、後者はテニスのラケット状の枠に鉄線が張ってあり、対象を求めてこれを振り回し鉄線の隙間に対象が挟まることによってこれに通電し死に至らしめるというものである。 
尚武の精神を尊ぶ常平駐屯部隊では前者はこれを潔しとせず後者を正式に購入したのであるが、惜しくも先日乾電池の液漏れによって使用不能になってしまった。

面白い事に、蚊は暑くなりすぎるととたんになりを潜めるようで、5月中旬以降は全く現れず、窓を開け放しても安心して寝られるのであるが、もしそうするとクーラーが利かないのでやはり寝られないのであるが、つまりは酷暑が続く6月から8月は蚊が一切出ないのである。
 
内地より新装備たる蚊取りブタを調達したのが5月の中旬であり、さてこれからと思った矢先に蚊のシーズンが終わってしまったので件の蚊取りブタは久しくお部屋のステキなインテリアに成り下がっていたのであるが、再び活躍の時期が到来した。 

9月は相対的に涼しくなるのでそれまでいずこかに潜んでいた蚊が再び活動を開始したのである 。
わが居室のデフコンはとたんに跳ね上がり、空襲に備えるため蚊取りブタが眼光鋭く虚空を睨む。 
ハニワのように無表情の蚊取りブタが実に頼もしい。

【追記とあとがき】
昆虫は暖かいほうが暮らしやすいらしく、熱帯に近くなるほど体も大きくなるもので、子供のころ図鑑で見てあこがれていたヘラクレスオオカブトムシなどは体長が20㎝にもなるのだそうだ。
また暖かいことで昆虫の活動は活発になり、ためにマラリアや風土病がはびこる瘴癘の地とされる土地はだいたいが南方だ。
広東省は気候区分でいえば亜熱帯に属し一年のうち実に4/3が日本でいう夏みたいなものなので、とにかく蚊には悩まされたもんだ。
あまりにも蚊が出るために、広東語では貨幣単位である「元」を「蚊(マン)」と書くことがあるくらいだ(本当、ただし理由は知らない)。

周知のとおり蚊は地上でもっとも人間を殺害してきた生き物で、刺されたら単にかゆいだけでなく様々な病原菌を媒介する。
現に深圳と香港の間の香港側のボーダーではデング熱に対する注意喚起がでかでかと貼られていたし、そういえば香港では日本脳炎も保健当局の注意喚起の対象となっていたが、これだって蚊が媒介する病気だ。

悪いことに、当時仕事で住んでいた広東省東莞市の常平鎮は湿地が多く水に浸かりやすい土地で、蚊が大繁殖するためには絶好の条件がそろっている。
冬になるとさすがに出なくなるのだが、どこに潜んでいるのか、ちょっとでも暖かくなると途端にでてくるもので、私は2月が誕生日なのだけれど、その誕生日に蚊取り線香を焚いた記憶がある。
もっとも7月と8月の極めて暑い時期には蚊のほうが参ってしまって出て来なくなるのだけれど、それでも一年の半分は蚊に悩まされる。

そのためにいろんな道具を試したものだが、一番効果があったのは蚊取り線香だったと思う。
多くの人は誤解しているのだが、蚊取り線香はあのたなびく煙に殺虫成分があるのではなくて、蚊取り線香のまさに火がついている部分から有効成分が空気中に昇華するように広まっているのだそうで、煙でモクモクに充満させなければ蚊が襲ってくるというわけではない。
火のついた蚊取り線香が近くにあるというだけで十分効果が出ているのだそうだ。

ほかにも中国では地を這う黒い昆虫なんかにも悩まされ、これの撃退にはライターと殺虫剤を併用した火炎放射攻撃が大変有効だった。
火をつけたライターの炎に向けて殺虫剤を噴射することで簡易火炎放射器ができるのだけれど、この炎に一瞬触れるだけで「黒い昆虫」はマンガのようにひっくり返って尻から白いペーストを出して即死する。
大変衛生的なのだが可燃物が周囲にある場合は使えない。
それでも向こうの建物がレンガ造りであることと床がタイル張りなことが多いので、よくやっていたものだ。
よく火事を出さなかったもんだと我ながらあきれている。

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