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【中国戦記】醒神檸琲 2005/8/1

ふとした用事があってシンセンに出張した。
午後過ぎに用事が終わり、まだ昼飯を食っていなかったため駅前の香港茶餐庁に相棒と入り簡単に食事を済ませる。
相棒は便所に立ち、私は何気なくメニューに目をやるとそれはあった。

レモンコーヒー ホット8元 アイス10元

醒神檸琲とは何事か。
ごく素直に漢字の意味を拾ってみると、「神さんも目を覚ますほどのレモン入りのコーヒー」となることに愕然とする。
香港系の喫茶店には時々訳の分からないものがあると聞き及んでいたが、まさにこれは横綱級であろう。
身を挺してギャグを狙う習性が染み付いている私としては直ちに行動をとるのである。

「先生(相棒のこと)!一緒に不幸になろう!」
便所から帰ってくるなりヤブから棒に怒鳴られた相棒は、なんですかなんですかとうろたえるのである。
さっそく店員を呼んで当該メニューをオーダーすることにするが、メニューによればこれにはホットとアイスがあり、ホットは8元、アイスは10元であるという。
どういうわけか香港系の食堂では飲み物はホットが標準であるらしく、冷やすと冷やし代としてか1-2元上乗せされてしまうのであるが、ここでもこの恐るべき飲み物はアイスの場合2元高い。

「先生!ジャンケンや!」
「え、なにがですか?!」

またしても相棒はうろたえる。
アイスかホットかの選択はかなり運命を左右すると思われるので、ここはひとつ公平にジャンケンでこれを決定しなければならない。

「じゃあ最初はグーで・・・」
「何をノクテエ(ボケた)こと言うちんですか?んなもん一発勝負ですがね。」

結局相棒は負けレモンコーヒーのホットを賞味する栄誉を得たのである。
やがてアイスのほうがまずテーブルに届く。
ホットはまだかと聞くと、ホットは「麻煩(メンドウ)」なのだといい、もう少し待ってくれという。
何だと?普通アイスのほうがメンドウだから2元高いのではないかと思うが、しかしこの場合メンドウなほうが期待が持てると言うものであろう。
結局更に数分待たされてホットが届いた。

ホットとアイスを並べてみると両者は明らかに違う飲み物のようで、ホットはどう考えてもホットコーヒーにレモンを浮かべたシロモノであるのに対しアイスはどうもアイスティーのように薄い色をしている。
さっそくアイスに口をつけると、やはり見かけ同様アイスティーとほとんど変わりない。
言われてみればややコーヒーのような後味がないでもないが、これはどう味わってもアイスティーである。
初めからシロップが多めに入っていることから全体的に甘ったるく、それを引き締めるのにレモンが一役買っており、総合的に見れば「残念ながら」まともな飲み物であった。

一方で相棒はホットのコーヒーカップを前にかなり躊躇している様子であったので「何をしてるんですか、早く飲みなさい」とせかすと、イヤそうにカップに口をつけ、うわ、コーヒーですよという。
アタリマエだ何を言ってるんだ。



「何をしてるんですか、ちゃんとレモンをスプーンでつぶしなさい。砂糖とミルクは入れてはいけません」と促すと、うなだれたようにレモンの輪切りをつぶし始め、おもむろにカップを再び口に運ぶが今度はかなり躊躇している。
何口目かに、うわ、やっぱりこれダメですよと仰る。
おのれ、弱(ジャク)い野郎だなと思ったが仕方がない。
それではアイスとホットを交換することにし、今度は自らホットに挑んでみた。

レモンの鮮烈な酸味が舌を襲い、かつこれが口の粘膜にこびりついてなかなか離れない。
もともと香港のコーヒーはエグみが強いが、これがレモンと協同をとることで実に手ごわいシロモノになったと言える。
安っぽいコーヒー特有の酸味がレモンの援護を受け、またレモンの皮の苦味が安っぽいコーヒーの援護を受けてお互いが補完しあう形になり実に凶悪なシロモノへと変化を遂げたようだ。
味わってみるにまったくうまくなく、そのRAISON D'ETRE(存在意義)を求める対象はおそらく「罰ゲーム」がもっとも適当かと思われ、これを金銭という代価で以って求める確信犯がおればその人物は味覚に関する物理的機能もしくはそれを賞味する精神的機能に何らかの障碍があると判断せざるを得ず、拷問の手段としてこれを用いた場合吾人は如何なる機密をもこれを保持することあたわざるべしと強く思うのであるが、しかし8元の代価を支払うことを考えるとこれの完飲を放棄することはやはり忍びない。
そういうわけでミケンにしわを寄せながらこれに挑んだ次第であるが、もしその場にノギスがあればデプス・ゲージでそのミケンのしわの深さを測定したい衝動に駆られたであろうと思い、かつその値は8㎜はあったであろうと推察する。

そういうものを飲んだ。
客人をヒデエ目にあわせる手段がひとつ増えて何よりだ。

【追記とあとがき】
中国にはいろいろわけの分からない飲み物があったもんで、香港系の茶餐庁というスタイルの店に入るとそういうネタの宝庫だった。
有名なもので上げるとすれば鴛鴦茶というものがあって、これはコーヒーと紅茶を混合したものだった。
鴛鴦というのはオシドリという意味で、コーヒーと紅茶がオシドリのように相性がいいことからついた名前だと何かで読んだが、これはなかなか良いものだった。
香港のコーヒーはコーヒーといってもインスタントコーヒーに珈琲伴侶(という名前の粉末クリーム)と白砂糖が三種混合になった粉末のもので、コーヒーカップ1杯分がパックされたものが24本くらい入った包装であちこちで売られていたもので、溶かすお湯の量を間違えると歯がもげるほど甘ったるい代物だがバカみたいに蒸し暑い環境ではなかなかうまかった。
紅茶は紅茶で元英国植民地だけあって紅茶といったら問答無用でミルクティなのだがこれも問答無用で歯がもげるほど甘く、やっぱり蒸し暑い環境ではなかなかうまかったのを覚えている。
鴛鴦茶はこれらを混合したもので、香ばしくてなかなか結構なものだった。

けっこうでないものはショウガ入りホットコーラで、これはいまだに意味が分からない。
コーラを加熱したものの中にショウガの千切りが入っていてレモンのスライスがプカプカ浮いているというものだったが、もしかすると漢方の発想で生まれたものなのかもしれない。
ともかく伊達や酔狂で飲みたいと思うような代物ではないので長いこと手を出さなかったのだが、ある日出張に来ていた社長がどういうわけか風邪をひいて喉を炒め、もとい痛め、声が出なくなって数日ホテルで闘病生活をするということがあった。
中国の医者は信用できないので医者にはかからないというので、仕方がないから体が弱っていても食えそうな腸粉(という米粉のクレープのようなもので広東では朝飯によく食べる)をテイクアウトして提供したりしていたのだが、その時ショウガ入りホットコーラのことを思い出した。
これならば成分からいってのどの薬みたいなものだし、生姜が入っているから風邪によいかもしれない。
そんなわけでこれまで手を付けなかったショウガ入りホットコーラを常平の茶餐庁で買ってホテルに届けたことがあった。
それが効いたのかどうかわからないが、もしかしたら風邪に効果があるのかもしれないので、今度自分が風邪を引いたらやってみようと思いつつ、十何年も忘れていて現在に至っている次第である。

本稿で紹介したレモン珈琲もいまだに意味が分からないが、数年前日本のローソン限定でどっかのメーカーからほぼ同じものが出たので、懐かしくなって買って飲んでみた。
アイスコーヒーにレモン汁をたらした味は、ちょうど昔の学校の手洗い場でネットに入ってぶら下がっていたレモンの形の石鹼をあぶって食ったような(あくまで想像)味で、あの時深圳で飲んだホットのほうとほぼ同じだった。
全く何がうまいのかわからない味で、ほどなくして店頭から消えたのは当然だったと思う。

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