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帰化許可処分に関する判例2

今回の判例は昭和58年と古いものですが、ここからも学べることはありそうです。
この事例では一審で不許可取消しの判決となってるものの、二審では一審の判断が取り消されました。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/951/016951_hanrei.pdf

不許可の概要

判例によると、申請の概要は以下のとおりでした。
今回は訴えを起こした人をXとします。

昭和54年5月7日 帰化許可申請
昭和55年4月2日 不許可の決定
不許可の理由:Xとその未成年の子Aとの身分生活関係が考慮された

不許可の具体的理由は相変わらずわからないです。

そこで判決文を読むと、以下のことが書かれています。
「親権の及ぶ未成年の子を残して親権者だけの帰化を許可することは相当ではない」
あれ、おかしいですね。日本の国籍法は、親子国籍独立主義を取っているはずです。また、そもそもなぜXとAは同時申請をしなかったのでしょうか。
それには、複雑な事情が存在しています。

Xの背景

Xは、昭和6年5月9日に日本人である父Cと、母Dの間の二女として生まれました。この時点ではXは日本人です。
Xは、昭和23年2月に台湾人Eと結婚して台湾籍を取得します。そして、昭和27年8月5日に日本国籍を喪失します。
その後、昭和34年10月ごろに、XはEと事実上離婚します。この直後に、Xは日本人Fと事実上結婚し、現在まで内縁関係が続いています。
昭和43年7月25日に、ようやくEとの間の協議離婚届を提出します。
昭和43年8月27日、XはFとの間の子であるAを出産し、出生届を提出しますが受理されませんでした。Aは、実際にはXとFとの間に生まれた子供なのですが、法律上Eとの間の嫡出子と推定されるため、出生時に中華民国国籍取得となりました。
その後Xは、昭和48年9月28日に台湾籍を喪失し、この時点で無国籍状態となっています。

何が問題か

とにかく状況が複雑すぎますね。Xは無国籍、Aは出生届も受理されていない上に中華民国籍で事実上Eとの親子関係は存続しています。
こういった複雑な状況のことを「Aとの身分生活関係」と表現していたのです。

どうすればいいのか

まずは順序立てて身分関係の整理をしなさい、ということのようです。
AがEとの親子関係がないのであれば、まずはAとEとの間で父子関係不存在確認の裁判をして、その後出生届を出しなさい。実際にEは、その後日本に帰化し、今も広島に住んでいるのだから、それも簡単にできるでしょ、ということです。

まとめ

Xは自分が帰化許可となれば、Aも自動的に日本国籍となって出生届ができるようになると誤解していたようです。
まずは複雑に絡まった糸をほぐし整理して、すべてがクリアになった状態の最後の仕上げとして帰化許可申請をするべきです。
またこのような複雑な状況な場合は、誤った情報や思い込みで動くのではなく、専門家にお願いすることも大事です。実際Xは、自分が帰化許可されれば、自動的にAも日本国籍を取得できると思っていたようです。
古い判例ではありますが、学ぶことの多い事例でした。

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