「怒り」は人を不幸に導く最も身近なもの

ではないだろうかと思う。

イライラしたり、怒りをまき散らしていったい何の得があるだろう。
個人的に怒りを感じるだけならまだいいが、それを周りの人間に感じさせたり、ぶつけてしまう行為には特に中止した方がいい。

イライラ原因、怒りという感情の根源が何なのか真面目に考えてみたことはあるだろうか?

まずは知ることから始めよう。

wikiでは

アラバマ大学の心理学者、ドルフ・ツィルマンは、詳細な実験を重ねて怒りのしくみを調べたという[7]。ツィルマンは、「危険にさらされた」という意識が怒りを喚起する万人共通の要素であると指摘しているという。「危険にさらされた」という意識には、物理的な危険だけでなく、自尊心や名誉に対する抽象的な脅威も含まれる。「不当な扱いや無礼な扱いを受けた」「侮辱された」「大切な目標達成の邪魔をされた」等々の意識が含まれる。

とある。
重要なのは物理的な危険だけではないという部分。
自尊心や名誉、価値観なども含まれるだろう。そういったものが否定されるとイライラし、怒りを感じてしまう。
そしてその怒りを相手にぶつける行為とは、自分の価値観を守る防衛行為と言ってもいい。
しかし、逆に言えば自分の価値観を相手に押し付ける行為でもある。
自分の価値観を知ってもらいたい場合、怒りという感情は相手を不快にさせるだけで邪魔でしかない。
冷静に論理的に説明した方が理解してもらいやすいだろう。
厳しい言い方をすれば、すぐ怒りという感情に流されてしまう人は、
理解してもらうための説明努力を怠っているともいえるし、
自分の価値観を認めさせたいだけの自己中心的な生き方ともいえる。

普段イライラするときどうだったか、次イライラした時に思い出して少し考えてみてほしい。
その怒りは、自分の押し付けではないかと。


以前、なぜ自分は怒ったりしないのか、イライラしないのかと聞かれたことがある。
その時までなぜ怒らないかなんてまともに考えたことはなかったが、
少し考えてから、こんなふうに答えた。

いま自分が生きているこの世界はゲームの中で、ここにいる自分はゲームのプレイヤーキャラクター、他人はNPC。
自分を操作しているのは、後ろにいる本当の自分。
自分がプレイしているゲームのプレイヤーがNPCである他人に何かイヤなことを言われていても別に怒ったりしない。そんな感覚。

後に知ったが、完全に「メタ思考」の話をしていたのだ。

メタ思考のいいところは、一歩引いて現状を見ることで、より幅広い思考、理解ができるということだ。
自分がなぜそんなことを言われているのか、相手がなぜそんなことを言うのか俯瞰して考えることができる。


怒りを感じたとき、決してそれを相手にぶつけず、
一歩引いて、状況をよくみて考えてほしい。
自分の価値観を押し付けず、相手を理解しようとすれば、きっと問題は大きくはならないはずだ。

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