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『塔』2024年5月号より①

『塔』2024年5月号から、気になった歌をあげて感想を書きました。
(敬称略)

まばらなる花咲かしめて白梅はしずかに老いを深めつつあり
/永田淳 

p5

・満開ではなく、「まばらなる花」を咲かせる白梅を「老いを深めつつあり」と把握した。特に「深めつつ」が良い。
梅が咲き、春がまた訪れる。巡る季節の中で白梅は老いながらも深まってゆく。その白梅に作者自身を投影しているようでもある。
淋しい風景のようでありながら、ゆったりとした時間の長さが感じられる、しみじみと胸に沁みる一首である。

泣き方を忘れたように樹樹が立ち目蓋の揺らぐ水辺も過ぎる
/山下泉 

p5


・「泣き方をわすれたように」という比喩が印象的だ。
深い悲しみにより感情を失ってしまったように、淋しく樹々が立っているのだろう。そんな冬の川辺の風景を想像した。
続く「目蓋の揺らぐ水辺」は日光が水面に輝いている景色を言っているのだろう。それにより揺らぐ目蓋、おのずと感情も揺らいでいることが思われる。
その水辺もやがて過ぎてゆくのだが、作者の心にはいまだにその風景がとどまっている。


粉雪の激しくなりて頼りなき外灯たよりに峡の村ゆく
/上田善朗 

p9

・粉雪が激しく吹雪く夜の山村の風景を行く作者。
「頼りなき外灯」と言いながら、その外灯をたよりにゆくと言っているところに、厳しい冬の風景と作者の心細さが表れている。
車で移動しているのか、徒歩や自転車なのかは書かれていないが、一首全体から広い景色が想像されるため車に乗っている場面と読んだ。


つまさき立ちちよつとしてみるロウバイの匂ひただよふ信号待ちに
/河野美砂子 

p13

・歩道で信号待ちをしていると、ロウバイの甘い匂いが漂ってきた。
その匂いに感じたうれしさ、ちょっとした感動。
その弾んだ心を「つまさき立ち」という動作で表現した。
上句のT音が連続する軽やかなリズムが楽しい。
あるいは、匂いの源であるロウバイの花に近寄り、鼻を近づけて匂いを嗅いだとも読めるが、どうだろう。
ロウバイは「蠟梅」と漢字で書くと物々しい雰囲気がでるが、実際の花は鮮やかな黄色で、この一首においてはカタカナ表記が雰囲気に合っていると思う。日常の一場面がさりげなく詠まれており、心地の良い一首。


ひよどりのつがひが裸の木にやすむ冬日にひろき肩幅となり
/小林真代 

p14

・穏やかな冬の日差しの中、裸木の梢にヒヨドリのつがいが止まっている。やさしい韻律が心にすっとなじむ一首だが、「ひろき肩幅」に意外性がある。冬の梢に止まるヒヨドリに存在感やたくましさを感じたのだろう。
この「肩幅」という表現にやさしさのあるユーモアも滲む。


冷蔵庫に金塊のごとく牛酪のあり銀の包みを厳かにして
/清水弘子 

p16

・「牛酪」とはバターのこと。ただ冷蔵庫の中にバターが置かれているというだけだが、こうして仰々しく詠むことで想像が広がる。
探し求めていた秘宝をついに見つけた、そんな場面のようでもある。
下句の言葉の運び方、特に「を」にも注目した。


陸へ、陸へ水よりあがるペンギンたちパレードをする パーティ開く
/田中律子 

p17

・ペンギンの大群が海から陸へとあがり行進する映像がパッと浮かんだ。空から俯瞰した景色だ。
その賑やかな場面と色彩の明るさが、ユニークな文体から伝わってくる。


袱紗さばき少しさらひて久びさに娘(こ)は初春の茶会に出でゆく
/藤木直子 

p20

・久しぶりの茶会に出掛ける娘は、軽く袱紗さばきをおさらいしてから家を出て行った。
この上句がよく、娘がかつては頻繁に参加していた茶会だが、近ごろは忙しくて茶のお稽古からも遠ざかっている。そんな娘の日常が想像できるとともに、それを見守る母の眼差しも感じられる。

赤ん坊が洗えるほどの蒸し器にて母は作りしうどん入り茶碗蒸し
/藤田千鶴 

p20

・「赤ん坊が洗えるほど」という比喩が面白く、その大きさも伝わる。
この蒸し器の大きさは家族の大きさでもあったのかもしれない。


雪踏みて脚ほそきもののゆきし跡崖より先は追ふべくもなく
/高野岬 

p28

・「脚ほそきもの」の跡が雪に残っている。おそらく鳥の足跡だろう。
その足跡を視線で追っていくと、崖の端で途絶えている。
そこから空へ飛び立って行ったのだ。
雪国の美しい景色が描かれており、下句の展開も見事。
結句の「追ふべくもなく」には飛び立った鳥と追うすべを持たない作者との対比があり、作者の無力感が滲む。


今回は以上です。お読みいただきありがとうございました。

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