ノーパクリ頒布会

アナログゲームや小説などについて、ノーパクリ頒布会をぼんやりと考えています。もちろん、パクったという意識があるのかどうか、たまたま被ってしまっただけなのかどうか、どの程度の類似性でパクリと呼ぶのか、そしてパクリであると断定する基準や方法には課題があります。ですので、とりあえず、アイディアとしての「ノーパクリ頒布会」ということで以下をお読みください。

まず、なぜノーパクリ頒布会というアイディアを考えたのかを書こうと思います。ゲームマーケット2022秋、2023春、2023秋、2024春に参加して思ったことですが、私にはパクリと思えるゲームが多かったことが挙げられます。とくに1つ挙げれば、ダニー・ボイル監督、キリアン・マーフィー主演の、2002年制作・公開の映画がありますが、そのポスターやDVDのパッケージ絵を意識したと思える絵を用いた箱に入ったゲームがゲームマーケット2023秋にて発表されていました。私はその映画が気に入っていますので、正直なところカチンと来ました。もちろん関係各所に許可を取っていた可能性もありますが、もしそうだとしたらぜひお教えいただきたいと思います。

その他にも、あるジャンルに属しているゲームならほぼ同じメカニクスになるという場合もあります。そのような場合、「そのゲームを作る理由は?」と尋ねたくなります。とくにこのような場合に言えるのかと思いますが、「イラストが違えば別のゲーム」という考え方もあるようです。それに対しては、「私はそうは思わない」という考えです。

そして、ゲームマーケット運営はなにか対策を講じることはできないのだろうかとも考えました。ゲームマーケットやアークライトはある意味で権威とも言えますから、そこがパクリに対して動きを見せることは決して無視されることではないでしょう。しかし、現実的には難しいこともわかります。ゲームマーケット開催の何ヶ月前にゲームを提出しなければならないのか、誰が審査するのか、判断に迷った場合はどうするのかなど、ハードルが低いとは言えません。あるいは、会場にパクリ巡視員を置くという方法も考えられますが、基準の統一はどうするのか、パクリと判断できる人を何人用意できるのか・すればいいのか、報酬はいくらなのか、賄賂を受け取って見逃すような場合はどうするのかといった問題があります。結局のところゲームマーケットのカタログにもありますが、出展者の判断を信頼するしか取れる方法はないように思います。

上記の問題はノーパクリ頒布会にもそのまま言えることがらです。ただし、すべてに運営の目が届く範囲内に収めるなら、実現の可能性は0ではないのかもしれません。「だからやる」という話ではないことには注意してください。

「(パクリも含めて) 模倣から始まる」であるとか、「(パクリも含めて) 幅広い人が興味を持っていることが業界の発展に繋がる」という意見もあるでしょうし、それはそれで事実だと思います。ただ、「(パクリも含めて)」の部分を暗黙にせよ明言するにせよ含めていいのかという点については疑問を感じます。仲間内で遊ぶのなら、好きにすればいいと思います。しかし、公開するとなるとどうでしょう? 公開する場合にも「(パクリも含めて)」を認めることには抵抗があります。もちろん私個人の考えですから、どう思うかは人それぞれということにはなります。

ただ、パクリについては、個人的には根深い問題があると思っています。いくらか前のことになりますが、あるプロのTCG製作者の方が「ルールには著作権はない」旨の発言をされています。これは正確には大きな誤解があります。ルールの著作権の話の際には料理のレシピの話題が引き合いに出されることがあるので、そっちで説明を試みます。

著作権の対象になるものは「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、」と著作権法にあります。仮にレシピに「美味しい」とか「美味しくなる」とかが書かれていた場合、それは「思想又は感情」を含んでいると考えられますし、それが含まれていれば「創作的に」とも言えるでしょう。さらにオリジナルレシピであればなおさらです。つまり、著作権が発生しないレシピというのは、「この手順に従えばこういう料理が作れる」ことだけを書いたものとなります。さて、料理であれば、「美味しいとかなんとかは無視して、この手順でこういう料理が作れる」というレシピはありえます。言うなら、めちゃくちゃ不味い料理、こんなの誰が食べるんだという料理にもレシピは書けるわけです。まぁ、「劇マズ料理」というカテゴリーとしての「思想又は感情」というものがあるかもしれませんが。この辺りはレシピサイト見てもらえばわかるのではないかと思います。

次に、小説や新書や学術書などの場合はどうでしょうか。「楽しんでください」という文言がどこにもなかったとしても、それらが書かれる目的は楽しんでもらうことです。「楽しむ」の方向は様々ですが。そしてその内容には、もちろん「思想又は感情」が含まれています。ここで勘違いされることがあるのですが、この「思想又は感情」は、「作者の思想又は感情」です。「登場人物の思想又は感情」ではありません。もちろん、「登場人物の思想、感情、あるいは行動」を通して「作者の思想又は感情」が描かれるはずですので、無関係ではありませんが。

さて、直近の2段落で、2つの条件が提示されました。1つは、「単に手順を書いただけのものには著作権は発生しない」ということ。もう1つは、「作者の思想又は感情」が著作物として成立するためには必要ということです。では、アナログゲームの場合はどうでしょうか。「楽しんでください」などの文言はやはりルールブックなどにはないかもしれません。しかし、それは2つめと同様であり、前提としてあると言えます。ですから、1つめの「手順を書いただけ」に見えても、実はそうではないということになります。ということは、アナログゲームのルールにも著作権が発生することとなります。加えて2つめに関連してですが、パクリ作品の場合、「作者の思想又は感情」についてはどう考えればいいでしょうか? これは判例でも出ないとはっきりしたことは言えませんが、少なくともパクリ作品の「作者の思想又は感情」は弱めに認められる程度ではないかと思います。このあたりは弁護士と話しての結論なのですが、なので、「偶然被ってしまったことを証明できないかぎり、パクリ作品は公開しないほうがいい」ということになります。「偶然被ってしまったことを証明」というと難しく思えるかもしれませんが、「創作記録」のようなものを適切に書いていれば、案外できるものです。ただし、これもまた重要な点なのですが、これらはあくまでも著作権関連の話であって、知的財産権に範囲を広げると話が変わることもあります。結局の所、パクリは、結果的にパクリになってしまったという場合も含めて、しない方が安全ということに落ち着くようです。

ノーパクリ頒布会を考える一面はこれまで述べたとおりですが、そもそも論としてなぜノーパクリ頒布会を考えるかというと、感情論になりますが、「私自身は、見たことも聞いたこともない作品に触れたい」という点に絞られます。もしかしたら、見たことも聞いたこともない作品は、それがなんなのかを理解することすらできないかもしれません。たとえそうだとしても、それなら理解しようとする過程にも楽しみがあると、これまでの経験から考えています。そういうものはゲームや小説などの世界を広げる作品でもありますし、私自身の経験も広げてくれる作品です。歓迎しないわけがありません。

ところで、私自身TRPGを作っていますが、それらを公開する際にどう考えているかを書いておきたいと思います。気持ちの全体に対して、1/4程度は「そもそもTRPGだからまずいな」という気持ちがあります。「まずいな」というのは前述のパクリに該当する可能性です。さらに、あるTRPGにインスパイアされていた場合、さらに気持ちの1/4程度は「影響を受けているからまずいな」という気持ちがあります。「まずいな」はやはりパクリに該当する可能性です。まぁ、後者の方はT.W.E.R.P.S.に影響されたLuck!が該当する程度という認識ですが。一応これでも (R) や (TM) には気をつけていますが、盤石かといえば、そうとは言い切れない状態です。

とまぁいろいろと書いてきましたが、ノーパクリ頒布会の発想は、「私自身が、見たことも聞いたこともないものに触れたい」からです。絶対そういうものの方が面白いと思っているからでもあります。

ノーパクリ頒布会を実現する、いいアイディアはないものですかね……

以上

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