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パロネタが壊す境界【2020/05/10】

■ごはん

・何も気にせず買ってきたしゃぶしゃぶ用豚バラを同じく何も気にせず炒めてしまったのだが、そもそもしゃぶしゃぶ用の定義ってなんだ……?

・調べてみたらしゃぶしゃぶで火が通りやすくなるように薄切りになっているというだけだった。他にもなにかあるのかなと思っていたがその程度の違いしかないらしい。なら炒めても全然平気ですね。よかった~。


■パロディ

・漫画やアニメなどを見ていると時たま有名なネタやネットで流行っている作品のパロネタが出てくる。ジョジョだったりポプテピピックだったりがよくネタにされているが、あれってどの層にウケているんだろう。何を面白がればいいのかイマイチよくわかってない。

・とかなんとか言っていると批判をしているように聞こえるが、パロディという文化があるのはわかっているし好きにやればいいと思っている。ただパロディを題材にしている作品でない限り必然性はないわけだし、人によっては寒いと感じる人もいるにも関わらず、どういう心理で差し込んでいるのか単純に気になるんですよね。

・読み手が面白いと思うかどうかでいうと正直微妙なところじゃないだろうか。「うわ! これジョジョのネタじゃん! ウケる~~~!」ってなる……のか……? あんまり想像できないな。「あ~ジョジョのやつね」とは思うけれどそれ以上のオモシロが眠っているようには感じない。それともその「わかるぜ」と共有できる感覚が良いということなのだろうか。

・どちらかというと読み手がどう思うかというより書き手の「やりたさ」が先行しているのかなと思う。自分が好きだから作品にも取り入れる感じの流は理解できるんだよな。好きなキャラクターの要素を入れてみたり、ストーリーの見せ方を取り入れたりは普通に行われていることだからだ。パロネタだから妙に目立ってしまうということかな。

・とかなんとか言ってみたけど流行ってるから特に意味もなくとりあえず入れてみる層もきっといるのだろう。なんとなくみんなやってるし、なんとなく元ネタがみんな共通認識としてあるから、迷った時に取り入れやすいというのもあるのかもしれないね。


・個人的なパロネタの嫌さって寒いとかというよりは、本来キャラクターが知り得ないはずの漫画やアニメ作品のネタをやっている、というところにある。舞台が現実世界でその世界に『ジョジョの奇妙な冒険』が発行されていない限り、キャラクター達がジョジョネタを知る由はないのだ。それが挟まるとその瞬間メタの視点が入ってきてしまい、リアリティがグッと下がってしまって、キャラクターは虚構としてのキャラクターになってしまう。作品の中から物語を見ていたつもりが、いきなり外側に押し出されたような感覚があるんだよな。

・もちろんこの感覚はパロネタに限らずだけど、作者が透けて見えるってこういう時なのかな~と思う。

・こういう話前にもしたな。


・逆に『ジョジョ』が作中で存在するという前提をもとにキャラクター達がそれをパロディしている、という流れだったらどうだろう。キャラクター達はジョジョを読んでいてパロネタだと分かった上でパロネタをやるのだ。そういう見せ方ならリアリティは崩壊しないし、パロネタを出す意味も持たせることができる。そういう作品あるのかな、僕がぱっと思いつくくらいだから誰か考えてはいそうだけど

・ただ普通にやると漫画のネタをリアルでやる痛々しい中学生みたいになりそうだな……。サブカル系のコミュニティを描いた漫画なら説得力はある、かも?

・それが面白いかどうかは知りません。




・今日写真撮ってないじゃん。


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・うまめだったやつ

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