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おたくが公式イメージ香水をレビューする回

はじめに

前回↓

架空の人物のイメージ香水を作ってもらったのですが、その約半年後、公式がその架空の人物のイメージ香水(2種・各税込3300円)の発売を発表しました。イメージ香水販売は以前にもあったことなのでまあ予想はできたんでしょうが、それにしたってどんなタイミングだよ!と狼狽。まだ5mlも使ってないよ。

とはいえ、ここで公式香水を買えばおたくの手元には架空の人物に関する三つのイメージが香りという形で現前することになります。人間の認識能力が単なる現象ではない「物自体」の本質を認識しえない以上、架空の人物のおたくにあって、架空の人物を知覚するための現象を少しでも多く確保することは無意味ではないはず。

というわけで

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速攻予約(特別版は最初から諦めました)

そして時は過ぎ──

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きたわね…………

以下はそのレビューです。


レビュー方法について

1プッシュを紙に吹き付け、時間経過による三つの香り立ち(トップノート・ミドルノート・ラストノート)をもとに香りの変化を言語化してみたいと思います(身体は体臭など諸々の影響が出てしまうため)。時間の目安は

トップノート:付けてすぐ 

ミドルノート:約30分後

ラストノート:約2時間後〜

としました。なお、よりよい試し方があればぜひご教授ください(おたくは香水エアプです)。

開封

では、箱のシュリンクを取って早速開封していきましょう。中はブリスター付きでした。

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デン…

強そうですね。香りの名前は左(銀色)がカームムスク、右(金色)がマッドフローラルだそうです。ちなみに裏面はこんな感じ。

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香水自体はどちらも無色に見えます。

この二種類、すごく平たく言えば左が

理不尽な桎梏に囚われ、己を押し殺しながら愚直に突き進むことしかできない青い時代

一方で右が

あらゆる束縛から解き放たれ、己の望むままに己の本懐を遂げる時代

の架空の人物を表現しています。おたくとしては、プロの企業がこの違いをどう表現しているのかも気になるところ。では以下で実際に香りの様子をうかがってみましょう。なお、繰り返しになりますがおたくは香水エアプですので、レビューと言ってもその時香りから得た印象を配合情報を元になんとなく言語化しています。あくまでふんわりお読みください。


レビュー:CALM MUSK

まずは銀色のヤツから。配合は以下の通りです。

トップ:ベルガモット・レモン・ライム

ミドル:リリー・ローズ・グリーンフローラル・グレープフルーツ

ラスト:ホワイトサンダルウッド・ムスク・アンバー

<トップノート>

吹き付けた瞬間、清潔感・清涼感に溢れた柑橘系の爽やかな香りが広がります。単に三つの果実を全面に押し出すわけではなく、それぞれの良さが少しずつ調和しており、しっかりと計算された堅実な雰囲気になっています。好感度高め。

印象としては端正ないい香りだけれどもその奥が見えない、底知れない感じ。また少しツンと香る時もあり、ふとしたときに刺してくるイメージです。しっかり蝶ネクタイ締めてる。

<ミドルノート>

少し時間が経つと刺すような感じが消えます。大きな変化はあまり感じませんでした。柑橘系の爽やかさはそのままに、フローラル系の甘さが深みを演出してくるのですが、これが全くいやらしくない。全体的に清潔。まだ蝶ネクタイしてる。 

<ラストノート>

最後まで堅実な印象は変わらず。しかしここにきてしっかりとジャケットを脱いでいる。蝶ネクタイも外している。言うなれば華やかなキャバレーから身一つで戻ってくる、テレビもラジオもない夜更けの月光に照らされる川面を見下ろす六畳一間の例の下宿(調べてみてください)

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ミドルノートまでに表現されていた「夜の帝王」として仕事上取り繕っている余裕と雰囲気を全て脱がした感じです。深みのあるムスクやサンダルウッドによって、トップ・ミドルの裏に秘めた懊悩と素顔がよく表現されています。個人的にあんまりムスクだ〜!とはならなかったかも。

<総評>

前述した時代の架空の人物のイメージとして、文句なしの香りです。配合情報を見たときはどうせCALMとは言いつつ最後のドスケベ・ムスクで内に秘めたる野性と狂気を表現するんだろ……と思っていたのですが、実際にはムスクの持つ官能性が主張しすぎることなく、あくまで堅実な雰囲気を保ったまま香りを楽しむことができました。「素顔」を表すラストノートをメインとして、その舞台装置としてのトップ・ミドルも仮面というほどできすぎたわけでもなく、同じ人物の持つ「顔」として、上手く「夜の帝王」としての側面を表現していると思います。

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またこちらは前回の香水と配合がよく似ており(画像参照)、一時は購入も迷われたのですが、あくまで全く別の香りとして味わうことができました。

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大きな違いを感じたのはタバコの有無とムスクの香り方です。前回の香水のテーマは「架空の人物の人生の総体」ということで、1964年から連綿と繋がる時間を経た「現在の架空人物」を表すためにかなり深く官能的な、言ってしまえばかなりおじさんくさい香りになっています。トップからタバコの深みマシマシでラストのムスクがかなり長く持続します。それに対し爽やかな香りに始まり、ムスクもほどよく香ってすっと消えるさまはまさに「青い時代の残像」という感じ。泡沫(バブル)じゃん。う〜ん、これは買ってよかった。

レビュー:MAD FLORAL

デン!金色のヤツ!配合は以下の通りです。

トップ:アプリコット・サフラン
ミドル:ベラドンナ・ジャスミン・オーキッド
ラスト:ハニー・フランキンセンス

<トップノート>

吹き付けるとまずは明確な甘さが広がります。カームムスクの時折刺してくるような感じとは対照的に、鼻腔にゆったりと満ちるようなイメージ。フローラルとは言うものの、花を嗅いだ時の甘さというよりは味覚における甘さに近い感じがしました。とにかく甘い。サフランのせいかお香っぽい感じもします。

こちらは印象うんぬんより、上述のファーストインプレッションが体験としてそのまま人格の表現に繋がっているように思います。全く知らない観念が突如として現前する衝撃。カームムスクの後に嗅いだのですが、毛色の違いにかなり驚きました。

<ミドルノート>

甘さが少し和らいで深みのある香りになってきます。時間経過による香りの変化は大人しめかもしれません。懐入ってますねこれは。懐に(嗅いだ当初のメモより)。

<ラストノート>

ここでも大きな変化はなかった印象。最初はハニーの甘さが強いかな……と感じましたが、よくよく嗅ぐとフランキンセンスがスパイシーで深みのある感じにまとめています。これを書いたあと少し外出したのですが、帰宅して戸を開けた瞬間香りがむわっ……と広がり、かなりびっくりしてしまいました。持続性が強い印象です。

<総評>

単なる香りの変化による多層性の表現に甘んじない、香水の表現ってこんなのもあるんだ!と思わせる挑戦的な香りです。私がムスク系を好むのもあるのでしょうが、「夜の帝王」と「素顔」の二つの顔を追憶するドラマティックな変化のカームムスクに比べ、時間による変化がゆるやかでなかなか掴みどころのない印象です。

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しかしながらそれは決して「単調でつまらない香り」ということではなく、売り文句にもある通り、その独特さは一度嗅いだらなかなか忘れられません。イメージとなった人物に寄せて解釈するなら、芯の強い香りで人生を深め、自己の両義性を止揚した揺るぎない姿をこれ以上ないほど的確に表現していると思います。またラスト以降の持続性の高さは、熟れた果実を味わい続けるような情感をたたえており、その全貌を掴みきれないことが口惜しく、より深くまで求め続けてしまうような魅力を形成しています。一見しただけでは本意を窺うことができず、ついこちらが惹(引)きつけられてしまうファム・ファタルのごとき人間性の表現としては至高だと感じました。

前回の香水がそうした人生を重ねた姿に隠されたあれこれをおたくがほじくり出した結果ならば、こちらはその蓋・外皮となる部分、つまるところ公式がお出しする現在の架空の人物のイメージとして完璧だと言えるでしょう。加えて字義の話にはなりますが、「徒花狂咲」の人生にふさわしい香りです(これも調べてみてください)。

おわりに

総じて、先んじてイメージ香水を作ってしまったおたくでも公式のイメージ香水をしっかり楽しむことができました。ただしいて言えば前回の香水を含め、普段使いするわけでもない香水150mlを抱えることになってしまったことはちょっとどうにもならないかもしれません。採算はともかくイメージ系の香水でもロールオンタイプやミニボトルがあってもいいですよね。もっともイメージ香水は肉を持たない人格を現前させるための触媒に近いのであって、そこに有用性や実用性を求める方が野暮ではあるのですが。

香り自体に関しても特定の人物の表現として破綻はないように感じました。先述した通りそれぞれ香り立ちから印象まで全く毛色の違う香りで、イメージうんぬんを抜きにしても二種類買ってよかったと思えます。生きていると、肉体なしに理性はありえないと頭では分かっているが、どうしても肉体が桎梏にしか感じられなくなる瞬間がやってくるものですが、こうしたちょっと楽しい知覚体験をすることで、まあ肉体を捨てないでおいてやるか。と思い直せるのはいいですね。

またこうして架空の人物について考えていると、人は人格を愛する(善さを認める)のか人格の包摂する観念を愛するのかが分からなくなってきますね。観念に情動をもって接することはできないので、情動が主体となる限りは人格を愛するということになるんでしょうが、そもそも肉体を持たず、相対するためにわれわれが理性を働かせる必要のある架空の人物の場合それはどうなのか。ともすればレディメイドの観念とも解せる架空の人格は本当の意味での人格たりえるのか。気になるところです。

願わくば、次は自分のつける香水についての記事を書きたいですね。

(おわり)

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