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AIによる添削

きっと私が言いたかったのはこういうことなんだろう。

「クリエイティブに生きる方法」や「持続可能なライフスタイルの探求」について考えたことを記事にしました。自分自身を表現し、生きる意味を見つける旅に出る方法も探求。 #note

  • クリエイティブに生きる方法: 創作活動を通じて自分自身を表現し、個性を発揮する方法について考える。

  • AIと哲学の関係性: AIが哲学的思考を持つことができるのかについて、言葉遊びを交えながら探求する。

  • 生きる意味を見つける旅: 気になる人物や本、体験などから刺激を受け、自分自身が生きる意味を見出す旅に出る。

  • 持続可能なライフスタイルの探求: カーボンニュートラルに達成する方法を考える一方で、自分自身が無菌室のような状況で生活することを考え、持続可能なライフスタイルを見つける。

  • 資本主義と社会の問題: 資本主義がもたらす問題、特に不平等さについて社会全体で考える。他者を攻撃しないよう注意する。

とても示唆に富んでいた。標準化することによって、個性は失われ、同じものができる。それでいて、私はあなたとは違う。そんなことを言い張っている。何ができるのかを証明する手段がなくなり、私は私でなくなった。今後はAIが考えるようになるのだろう。昨日までグーグルに聞いていた。そういうことなんだろう。私が私であることがなくなる。私は私でなくなるのだ。そうしたら私はなんなんだろう。そこに生きる木と同じになってしまう。何が違うのだろうか。何も違わない。世界をどこで見るか。見分けるか。誰が見るのだろうか。ゲシュタルト崩壊

面白いよね。理解はできないけど。理解できないのが面白いよね。解像度が足らない。世界が見えない。私は目が見えない。何が違うのだろうか。言葉がどんどん浮かんでくる。楽しい時間がやってきた。映画の世界で、本を書いて、空を飛ぶ。そして落ちる。どこまで落ちるのだろうか。

哲学は言語ゲームだ。言葉遊びだ。初めに言葉ありきで、言葉から進まない。そしてAIの登場だ。もっと言葉遊びで私を愉しませてよって話になってしまった。ウィトゲンシュタインの本をAIが理解できるのだろうか。理解とはなんだろうか。言葉遊びの連続についてくることはできるのか。その次の本を書くことができるのか。AIは哲学ができるのか。そこに問題があると思う。言葉を理解することができる。つなげることができる。しゃべることができる。でも哲学できるのだろうか。哲学とは一体なんなのだろうか。言葉遊びか。

この人は面白い。もっと本を読んでみたくなった。飛んでみたくなった。何が面白いんだろうね。この不確実な世界において、世界と戦う方法を教えてくれそうだから。戦う勇気をくれそうだから。一歩踏み出してみたいと思うから。身銭を切ることから始めたいと思う。何が違うんだろうね。面白いよね。これ。

カーボンニュートラル達成のために、持続可能な経済発展のために、必要でない人材は削減され、いなくなり、必要な存在が生きるために生きる状況となる。宇宙から宇宙人が降り立ち、我々に指導をくださるのだろう。素晴らしい世界だ。カーボンはニュートラルになり、人間は少なく、世界は可能な限り前進する。その先にある未来はなんなんだろう。42ってわかっているのに、生きる意味があるのだろうか。お酒に漬かった頭で考える意味があるのだろうか。首を吊ったときの快楽に勝るものはあるのだろうか。カーボンニュートラルを考えると世界は尽きな

人は生きる。

中国に行きたい。サルの脳みそは西のほうで食べられると聞いた。とても食べたい。常識に考えて頭がおかしいと思うが、食べているのだからしょうがない。近縁種を食べるのはよくないというが、胃で消化されるのに、何が問題あるのか誰か教えてほしい。食べた人は超越した存在になれるかもしれないじゃないか。食べさせてくれないのはそういうことなのかもしれない。羊の腸だったか、脳みそだったか、食べたときに、これは違うって思った。日本で食べられないものがそこにはあった。コロナは終わった。世界を食べにいきたい。おなかを壊して、トイレと

小説を読むことができなくなった。いつかはずっと読んでいたのに、なんか面白くなくなった。ついていけなくなった。理解が追い付かなくなった。変わった人に出会うことがなくなった。当たり前の人生を歩くようになった。この世界がつまらなくなった。陳腐であった。だからお酒を飲むのだろう。この世界を変えることを記念して。変わることを期待して。変わることなんてないのに。どうしたらいいんだろうね。どうしたいとかあるのかな。何もしたくない。でも走るのは愉しい。散歩はやめられない。これがお酒が抜けてきた証拠なのかもしれない。

めっちゃ面白かった。こういう見方ができる人がいなくなった。おきにいく人ばかりになった。挑戦をしろっていう癖に挑戦されると炎上する。頭がおかしい。ファイトクラブの見方が変わった。あれは面白かったが、失ったものを取り戻す戦いの一部とみることもできる。雄はいらない。無菌室で生きている。それでもいいのかもしれない。ただ生きている。墜ちている。素晴らしい。いつか太陽に近づいたのだろう。落ちるだけだ。グライダー人間万歳だよね。

ぜんぶAIが解決してくれるのに、助けてくれないから、こんな本を読まないといけない。本当にやめてほしい。

この人はなんなんだろうね。不思議だなって思って、それで終わってしまう。それ以上深く知ることもないし、知りたいとも思ないけど、こうして手に取ってしまう。眺めるものなんだろう。動物園みたいだ。面白いよね。牢屋の中にいる動物を見て、あざけわらっている。面白い世界だ。私も笑われているとも知らずにさ。

冒頭で、稗田 阿礼を彼って読んでて、この本に価値がないことがわかった。

すごいね。

人と神はまじりあっている。はじめに言葉があった。それからなんでもできるようになって、概念が一般化され、ものに宿り、世界を作ってきた。あるいは誰かの妄想の中で生きているだけなのかもしれないけど、それを証明することができない。最近運動を行うようになった。走り始めるようになって、お酒を飲んでいない午後を過ごすことができるようになり、頭が回り、キーボードのミスタッチが減った。なんて素晴らしい世界だ。輝いて、見まごうばかりで、世界変わりつつある。体重だけが変わらないのがなんとかしてほしいけどさ。

資本主義だからね。何をしたってお金を稼いだほうが偉い。利益が高いほうが偉い。使えるものは何でも使う。ただそれで生き延びることができる人とそうでない人がいて、人間は平等であって、公平ではなかったりするから、その辺がこうした問題になったりならなかったりするんだけど、だからどうしたっていう問題もまたある。だって逃げればいい。そんなことを許せる社会とそうでない人がいたりする。頭おかしいよね。どこかで資本主義が終わらなければならない。そういう話なんだと思う。

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