ニートがとあるカプにハマって初めて同人活動した話

(※ここで言うカプ/同人誌/同人活動は全て二次創作BLです。)

始めに

2020年8月、私は大学を中退した。
理由は病気療養のためである。
慣れない環境、初めての一人暮らしであたふたしながら隙間なく詰まっている講義を受け、合間の時間や休日に課題を終わらせる。当時は「誰だ『大学生は楽だ』と言ったやつは!話と違うじゃないか!」と思いながら生活していた。
周りとも馴染めず次第に講義や課題から逃げたくて講義を休むようになり家でネットサーフィンやゲームに興じるようになった。その時間はどんどん長くなりいつの間にか昼夜逆転の生活を送っていた。この時の精神状態はうつ状態に等しく、現実逃避をしている自分への嫌悪やこの状況を知った両親がいつ自宅に押し掛けてくるか不安で眠ることすら出来なく毎日しんどかった。
そんなことをしていたら実家に大学から成績や欠席状況を知らせる書類が届き両親に全てバレてしまった。

数時間に及ぶ家族会議で私は「後期はちゃんと大学に行く」と言うのだが、私はその場から逃げたい一心で結論を出すクソのような人間であり、この時もそうだった。そんなクソのような人間が行動を改める訳もなく結局、後期も上記と全く同じことをしていた。
大学もろくに行かず家に引きこもり続けた結果奨学金が打ち切られた。
学業不振の学生に支援するほどの金はない。当たり前のことである。
しかし私はそのことを知らずに過ごしていた。奨学金が振り込まれていないと気付いた時にはすでに遅く両親が2年前期の授業料を納めた後だった。
さて、また家族会議である。
今回ばかりはクソのような人間の信用ならない口約束は通用しない。
会議の結果退学することになり心療内科に通うことになった。
去年のことで両親はADHDの疑いがあるのではないかと思っていたらしく前から心療内科を探していたらしい。
「これで病気も何もなくて無気力で生産性のないただの無能なだけだったらどうすんだよ。公に認められたら死ぬぞ???」と思っていた私は「カウンセリングだけでも受けてみないか?」と両親から言われ渋々病院へ向かった。

着いたのは個人経営の病院で待合室には余程好きなのかMarvel作品のフィギュアや置いてあり壁には帽子のキャップが所狭しと飾られていた。
「想像とは全然違うけど絶対にヤバいとこだ」と私は確信した。
本当にここは病院なのか?
何かの間違いじゃなくて?
でもさっき受付したし病院なはず。
混乱しているとオレンジのキャップにオレンジの半袖と短パンの全身オレンジ色に身を包んだおじさんが待合室に現れ、他の患者の名前を呼ぶ。
まさか、あれが先生なのか?
そんな訳ないよな。
ただのやばい奴、そう思うことにした。
暫くして私の名前が呼ばれ診察室に入ると部屋の中央に置かれた机にはドラゴンボールのフィギュアがこれでもかと並べられており、その奥の椅子にあの全身オレンジ色のおじさんがいた。
「じゃあこちらにお掛け下さい」とおじさんから椅子に座るよう促される。

おじさんは先生だった。

嘘だろ……???
明るい茶髪と両耳にたくさん開けられたピアス。
世間一般の医師のイメージからかけ離れたその先生は慣れた様子で私に色んな質問してきた。
私の頭は質問内容よりも先生の容姿にしか意識がいかなかった。

カウンセリングの結果私は幼少期はADHD、現在はPTSDとアスペルガーを患っていたことが分かった。PTSDは小学生時代に受けたいじめが原因で、アスペルガーは先天性らしい。
私が恐れていた「ただの無能認定」は免れた。
そこから通院が決まり投薬治療が始まった。
薬はすぐに効果が表れる訳ではなく長いこと時間をかけていく必要があった。目に見えた変化もなく薬を服用しながら3か月ほど経過しようとしていた時にそれに出会った。
FGOの新イベント「超古代新選組列伝 ぐだぐだ邪馬台国2020」にて登場した新規サーヴァント。

斎藤一である。

初投稿

イベントの内容は割愛するが斎藤一(以下一ちゃんと称す)は新選組に、土方歳三にとんでもない激重感情を抱いていた。それを知った私は一ちゃんについて皆の反応を見ようとTwitterで検索しようとするとサジェストに「一ちゃん ゲロ」「一ちゃん 嘔吐」という文字列が表示された。
生まれて初めてである。
気になるキャラクターのサジェストにゲロが並ぶなんて。
ドキドキしながらその文字列をタップすると皆の幻覚が表示される。
その幻覚達を読み漁り、いつの間にか私もその幻覚を見るようになった。
毎日更新されるストーリーで皆、様々な妄想を膨らませ、あるものは漫画やイラストを、あるものはSSを投稿し始めた。
そこで初めて私は自分の書いたSSを投稿したいと思った。
今までは自己満足でネットで公開することなくスマホのメモ帳のページ数が増えるだけで『私は他の方が生み出したものをありがたくいただくだけで十分だ』と思っていたがこの時は強くそうしたいと思った。

大学辞めて当分の間はニートだしやりたい事やってもいいよな。
先生も「新しいこと初めてみたら」って言ってたし。

決心した私はSSを書き上げTwitterに投稿した。
SSと言うだけあって短い作品だったが30以上もいいねが付いたのは初めてで当時は見返す度に嬉しくて部屋中を駆け回っていた。
他の方からの反応が嬉しくて次々にSSを書き投稿しまくった。
そのおかげで色んな方と出会うことができ毎日が楽しくて仕方がなかった。

初めての同人誌作成

それから少ししたある真夜中のことだった。

めっちゃ同人誌作りてぇ!!!!

脱稿という言葉しか知らなかった私は布団の中で同人誌を作りたい衝動に駆られスマホで同人誌の作り方を調べさっそく作業に取り掛かった。
Wordでの右綴じと左綴じのやり方が分からなくてパニックになってフォロワーさんに助けてもらったり(入稿の時に決めるって初めて知りました)、部数の決め方が分からなくて部数ツイートしたり(マロで『部数は言わない方がいいですよ』と教えてもらった。そこら辺の暗黙の了解を知らなかったので助かりました)しながら2日で脱稿しA5サイズ、全20ページの再録+書き下ろしのコピー本を作り上げた。
これがその時の現物である。

画像1

BOOTHで頒布した初めての同人誌は無事完売し、調子に乗った私は開催の話が出ていた推しカプのプチにサークル参加しようと決意しすぐに申し込みした。まだ開催まで五か月先のイベントに浮かれプロットも書かずに日々推しカプを摂取していた私は後々痛い目を見ることになる。

原稿執筆

年が明けて2021年2月上旬、ぼちぼちプロット書くかと思いパソコンを立ち上げ雑なプロットを数行書き、今日はプロット書いたしいいだろうと満足してパソコンを閉じる毎日。そんなことをしていたら時はあっという間に流れ2月下旬。
流石にヤバいと感じ原稿の執筆を始めるがこれがなかなか進まない。
というのも私は計画性がなく思いつきで行動したり、やる気がある時は数時間も集中しているがやる気がなければ全く作業に手を付けないというADHDやアスペルガー等に見受けられる過集中の症状があるため執筆作業は難航し、捗る時は何千字と書くが書かない時は2週間も書かないというめちゃくちゃな状態だった。
それでも締切は守らねばならない。
とにかくパソコンの前に座り画面と睨み合い、文章を打ち込んでは消しての繰り返し。結局、入稿の前夜は徹夜して文章を打ち込みなんとか締切5日前に入稿することが出来た。

表紙とカバー

最初はA5サイズにしようと考えていたが途中で文庫サイズにしようと思いつき文庫サイズに作り直すことになった。カバーを付けるためデザインも変更し納得のいく形に仕上げ入稿した。
こういった思いつきで変更したりするためボツになった表紙は3つ4つほどある。本来は本文が粗方仕上がってから作るのだろうが原稿したくないがために作ったりしていたのでその時の気分次第で表紙のデザインは変わっていった。

脱稿

前回もお世話になった印刷所さんから修正したほうがいいのではと言われた箇所を修正し入稿するが修正し忘れていた部分があり結局、印刷所さんが修正してくれた。マジでありがとうございます。

脱稿して数日、宅配で新刊の詰まった段ボールが届いた。
これがその時の写真だ。

画像2

表紙込み52ページで文庫本にしてはかなり薄いが元来同人誌とはそういうものである。近年では分厚い同人誌を出される方々もおられるだろうが交通費や印刷費などを考えてもニートの私にはこれが限界だったのだ。うん、そういうことにしておこう。
それはさておき、こうして作ったものが形になるのはやはり嬉しいものでインターフォンがなった瞬間は叫び散らし、段ボールを受け取った後も小躍りしてしまうくらい感情が爆発していた。

イベント当日

コロナの影響で開催が危ぶまれたイベントは協議の結果、延期となり地方民なので前日入りしていた私はホテルで一人しょげていた。
ずっと待ちわびていたイベントだった。
この日の為にヒィヒィ泣きながら書き上げた原稿。
界隈の方に直接会って思いを伝えられる機会。
推しカプの新刊を端から端までローラー買いする夢は儚く散った。
風呂も晩飯も早々にすませベッドでのたうち回りながら通話アプリを開き、誰でも入れる部屋を立てて「誰か慰めてくれ……」とべしょべしょになっているとフォロワーさん達が入ってきた。
フォロワーさん達と延期が決まった話をしているとふとこんなことを言われた。

「せっかく東京まで来たのならどこか行きましょうよ」

「せっかく遠方から来たのにこれじゃ可哀想だ」と言ってくれたフォロワーさんが予定を決めて下さりイベントがあるはずだった翌日に推しの墓参りに行くことになった。

翌日、電車に揺られながら着いたのは日野。
推しの墓前で冥福を祈りつつ自身の活動報告をすませ日野宿本陣や資料館を巡りフォロワーさんの解説を聞きながら展示物を見る時間はとても楽しく、あっという間に過ぎていき予約している便の時間が迫り慌てて便の変更をしたりなどのアクシデントはありつつもイベント延期の悲しみは薄れていった。

最後に

予定ではここで「君も些細なことで変われるんだ!」的なことを書こうと思ったがそういうのは他の記事に任せることにする。
私がただ言いたいことは推しカプは本当に健康にいいと言うことである。
推しカプは創作意欲や行動力を掻き立ててくれる素晴らしい存在だ。
お陰で色んな方と解釈で語り合ったり初めて同人誌を出してみたりといろんなことができた。
二次創作がこんなにも楽しいことを知らずに他の方が生産したものを見るだけだった過去を後悔する。
今後も様々なジャンルに出会うだろうが私は物を書いていきたいと思う。
文章の技術もまだまだ拙い私ではあるが精一杯好きなことをしてちまちま生きていきたい。

最後まで読んで下さりありがとうございました。



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