閑話休題
懐かしき昭和な時代。
経済が成熟し、モノがあふれ、いろいろなものが便利になった時代。
当初は、今までにない斬新さと利便性から爆発的に普及したものの
一定レベルまで普及すると、ハードよりもソフトが重要になり
どんどんソフトを追加していく。
他社も類似品を販売し、追随する中で、機能を増やすことで利便性を
訴求して他社との差別化を図る。
それが繰り返されて、いつしか、それほど使う人がいない、一部の人間以外は
それほど使わない機能まで追加するようになり、それにともない、
年々ハードの金額は増え続け、ソフトも多様化して多品種少量が多くなり
企業も当初のような爆発的な収益からどんどん小さくなって、
その焦りから、さらに無駄な機能を追加することを追求していく。
これが、世界でシェアをとれたあとの日本家電の衰勢でした。
当時は今ほど半導体による小型化というのは、
なかなか一般化していない時代だったので、
とにかく機能追加となると、ハードがドンドンデカくなった
ようなイメージがあります。
私が当時のイメージであるのが、ラジカセ。
今の人は知らないかな?
ラジオとカセットが一体化したものです。
当時は磁気テープで音を録音したのです。
音楽も、レコード屋さんがあって、レコード屋で
CDの音源をハードで買ってきて
それをテープに録音したり、ラジオの生放送をテープに録音して
聞いたりしていたのです。
なんか、こう書くと、ものすごい昔のような気がするけれど、
ほんの40年くらい前の話なんだよな~。
このラジカセのように、なにかの機能を足して、
利便を追加することで利便性を
訴求して商品開発が進むのだけれど、ある程度までいくと、
アイデアがなくなるのか、開発のプレッシャーからか、
無用な機能がどんどん追加されていった。
そして、筋トレのグッズかと思う位に大きなラジカセになり、
それを黒人の筋肉ムキムキの
マッチョが肩に担いで、ガンガン音をならせて踊っている
というイメージが当時の映画でよくありました。
そして、時は流れ、40年後。
年々発売されるたびに値段が跳ね上がっていくリンゴ社のスマホ。
今や、家電と変わらない値段の通信機器です。
確かに、40年前に比べれば驚くほど便利になりました。
銀行口座、証券口座、家計簿、ネット検索、動画、ラジオ、テレビ、
カメラ、ワードやエクセルなどのソフトや、ゲーム、
ポイントのアプリから、地図や、翻訳などなど。
あらゆる機能が追加されて、それこそドラえもんのポケットのような便利さです。
しかし、それとともに、購入してから一回も使わない、使わなくても困らない、
使う必要性を感じない機能も、年々増えていきました。
便利さゆえの危うさもあります。
全ての機能があるということは、それらに付随するすべての情報が格納されている
ということで、落としたり、盗まれたりすれば、
すべてが危険に晒されてしまう危険性を
持つようになってしまいました。
もう、10年ほど前からスマホはもたず、ガラケー並みの通話機能の携帯と、
WIFIルーター接続のタブレットに変えました。
2台持ちという面倒さはあるものの、これですべてが事足りています。
お値段は、スマホの1/3以下。
「これくらいでいいのよ、これくらいで・・・・」
そう、バイクが変えるくらいの手のひら家電でなくとも十分なのです。
必要な機能というのは。
そんな状態で10年くらいたちますが、今年も最新機器が出たようですが、
本当にバイク一台分の値段になっているスマホ。
いつか来た道。
いつか、あのラジカセのような末路をだろうな~と感慨深く見ています。