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歌詞を考える ASKA「忘れ物はあったかい」(アルバム Breath of Bless)

おはようございます。
ASKAの最新アルバム「Breath of Bless」の歌詞をひとつずつ考察しておりますが、今回で5曲目。
今日は「忘れ物はあったかい」について考えていきたいと思います。

楽曲の背景

この曲は、もともと光GENJIへの提供曲として制作された楽曲だったようです。
1995年に解散した光GENJIですが、デビュー30周年を機に、1年だけ光GENJIとしてコンサートを行う計画が立ち上がったことがきっかけで生まれた曲だそうです。
この時に7曲ほど提供曲を新しく書き下ろしたそうですが、その計画ももろもろの事情から頓挫してしまい、アルバム「Breath of Bless」の制作過程の中で、自身で歌いアルバム収録に至ったそうです。
その際、歌詞も一から書き直したみたいですね。
あくまで提供曲は光GENJIのものだという想いがあったからでしょうね?
CHAGE and ASKAとしても「あきらめのBlue Day」も光GENJIへの提供曲の「BAD BOY」の歌詞を書き換えたものですし、アーティストとして歌う曲へのこだわりや、思い入れのようなものがやはりあるのだなと感じます。

時代を極めた者が、高みで望む切なさのようなもの

さて、歌詞に目を向けていきましょう。

あの頃の僕の毎日は かけ算のようだった
すぐに角が取れてしまう オセロみたいだった
止まらない 迷わない 崩れない

「掛け算」、「角が取れるオセロ」。
試合強者のようなイメージを呼び込む言葉たち、一時代を築いたASKAが「あの頃の僕」と振り返り連ねる言葉だからこそ説得力と具体性が生まれる比喩ですね。
自分自身の想いとは関係なく、言動や行動が次から次へと加速度的に展開される状況。何をやってもうまくいくような、そんな状況が目に浮かびます。

歩行者天国のような 囲いの中の自由
そんな窮屈さも無敵 笑えた

「憲兵も王様も居ない城」など、最近のASKAの歌詞に感じられる、制約からの解放。
この2行からも僕は同じようなものを感じます。
特に「囲いの中の自由」というところ。
与えあられた中でどこまで突き詰めていけるのか、というスタンスで音楽と向き合ってきていたかと思いますが、今振り返ると作られた自由という管区になっている、そんな感じでしょうか?

それでもどこかで感じてた
それでもどこかで感じてた
夕暮れの目覚めが怖かった きっと僕はきっと

そんな状況の中、いつまでも無敵ではいられないことを感じ取っていたということかなと感じています。
「夕暮れの目覚めが怖かった」というところが特にその印象を強めているように感じられて、夢半ばに現実に引き戻されるような意味にもとれますし、一日の終わりに近づく夕暮れを、無敵時間の終焉とつなげて、間もなく終わることを自覚するという意味にもとれます。
その目に見えていた夕日の赤は、郷愁の赤ではなく、危険を知らせる赤だったのかもしれません。

いま自由を得てこそ、伝えられること

サビの歌詞は、それまでの流れから少し違い色合いを感じます。

忘れ物はあったかい なくした物は見つかったかい
何も変わらずに Tシャツもジーンズもスニーカーも履いているよ

忘れ物、なくした物がなにかあったように感じていたのでしょうか?
僕らもそうですが、日々の忙しさに見失うものや置き去りにしてきたものがあるように感じることが多々あります。
気持ち的なものもそうですし、知らず変化してきた自分自身のことなのかもしれません。

でも、ASKAは最後に「何も変わらないよ」と言っています。
過去を俯瞰して見れるようになった今、変わらないよと言える自分がいる。
これは一つの悟りのようなものなのではないかと感じます。
僕は変わらず僕である。
何が正解かわからない中、焦りや、恐怖といった感情をうまく閉じ込めながらがむしゃらにやってきた当時の自分のことを、いま正しく評価できているのかもしれませんね。

2番もそういった視点が感じられる歌詞ですね。

あの時の夢の余韻を 秘密にすることはない
今こうしてここに立って いるだけ

瞼を閉じたら見えてくる きっとそれはきっと

過去があるから今がある。
当時、CDはリリースすれば売れる状況でしたし、ライブを行えば満員御礼となるような、まさに時代の寵児であったCHAGE and ASKA。
「夢の余韻」とはどういうことなのか、そういった過去の栄光の先にある今のことなのか、当時から成そうと続けている何かなのか?それを秘密にするとは?
ここは読み取り方が非常に難しいなと感じた部分です。
ニュアンス的には、過去と現在の対比のようにとらえると良いのかなと思ったのですが、1番の「夕暮れの目覚め」を迎えたあと、見えてきたものや生まれた考え方、その全般を「夢の余韻」として捉えてみることにしました。
すると、怖かった夢の余韻を生きている今、とても充実している自分がいる今、という立場からの過去の振り返りのようにも見えてこないでしょうか。
ハンサムな道をハンサムに行くASKAの姿に秘密の欠片は微塵も感じません。

伝えたいことは「君は大丈夫」という言葉だった

サビではUFOを読んだり、時間を巻き戻したりして、過去の自分に対する、今の自分からのメッセージを残したい気持ちが伝わってきます。
現在の自分が過去を見て、「あの時は苦しかったな」と思い返しながらも、それは間違いではなかったよ、という想いも同時に芽生えている。
だから、そのことをあの時の自分に伝えて、怯えなくてもいい、自信をもって進めばいい、そんな風に迷いを振り払ってあげたい気持ちになったのかもしれません。

これはASKAに限らず誰にも共通する過去との向き合い方ではないかと思います。
成功にしても失敗にしても、何かターニングポイントとなる出来事が少なからず一つはあると思うのですが、その時は精一杯その瞬間を潜り抜けているので不安も付きまとっていたのではないかと思います。
そこを潜り抜けてきた現在、当時の自分に何か伝えたくなるような気持ちが、この曲のテーマの今回になっているように感じるのです。

「まっすぐ伸びた円」という概念はいろんなところで息づいている

Cメロの部分で、思わずニヤリとした歌詞がありました。

くるくると回って 真っ直ぐに回って

この表現、「心に花の咲く方へ」のサビにある、

今も遠くも 人は誰も 真っすぐ伸びた円を歩く

という歌詞と同じような意味を持つと感じています。
特に「忘れ物はあったかい」という曲においては、くるくると回るという部分に、迷いさまよっている様子が重なって見えるようにも感じるので、そんな迷いの中でも、行ってきたことは真っ直ぐ未来につながっているという解釈にもとれますし、大きな人生の円においては迷いや恐怖も歩いていく理由なのだなと、妙に納得してしまった歌詞です。

忘れ物はあったのかもしれない、それでも・・・

ここまで歌詞を考えてきてみて、「忘れ物はあったかい」という言葉に対し、忘れ物があったともなかったとも明確な回答は出ていません。
ここは聴き手の解釈に委ねている部分もあると思うのですが、僕としては、きっといろんな忘れ物はあったんじゃないかなと感じています。
でも、「何も変わらずに」いる自分が確かに今を生きている。
大切なのは、自分が歩んできた過去を受けて、今をどう生きているかということなのだと思います。

ASKAは以前、「RED HILL」という曲で、日本音楽界の頂点にいながら感じていた不安を曲として表現しています。
「忘れ物はあったかい」の中に出てくる「夕暮れ」は、この時の「思い出の夕陽」にもつながっているように感じました。
そして、RED HILLの中では「未来の仕業」という歌詞も出てきます。
この当時のASKAには未来から来るものは警告に感じていたのかもしれません。
そう考えると、ファンとしても当時のASKAにこの曲を届けてあげたいなという想いが生まれますね。
「未来の貴方は、今の貴方に大丈夫だっていってるよ」と。


光GENJIに向けて書いた歌詞はどんなものなのか、そちらも気になりますが、このアルバムに収録するにあたって書き直した歌詞には、いまのASKAだから書ける想いが込められているのだなと感じました。
光GENJIのメンバーとの再会や、30周年ということで、彼らと過去を振り返ったりしたことが、この曲のテーマに繋がっているのかもしれませんね。

ここまで、読んでいただきありがとうございました。
今日はこの辺で終わりたいと思います。
課題は次です。
殊更に難しい歌詞ですからね、「百花繚乱」!
頑張って、考えてみたいと思います。

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