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竹久夢二展@小江戸川越

 竹久夢二の木版画など約20点を紹介する「~蔵の街で味わう大正浪漫~竹久夢二展」が2023年7月25日(火)までギャラリー「クラブハウス」(川越市仲町3-24大正浪漫夢通りカニヤ2F)にて開催中だ。
 企画した「アール・ラモ」の吉田枝里子(よしだ・えりこ)さんは言う。「夢二は広告デザイナーでもありました。たまき(元妻)を女店主にした店で販売する小間物のデザインもしていました」。
 そういう店は、夢二が自分のデザインや作品を売ると同時に、離婚したたまきと子どもたちを自立させるためでもあったようだ。ギャラリーでは夢二がデザインした手ぬぐいや、便せんや封筒といった関連商品も販売中。
 夢二について吉田さんは「当時の画壇には属さなかったことから、美術界では評価されにくかったのですが、それが今再評価されています」と話す。
 今展の目玉ともいえるのが夢二が当時の豪華雑誌「婦人グラフ」のために制作した木版画だ。婦人グラフは表紙や挿紙に木版画を貼り込んだ雑誌で定価が80銭から1円と当時にしてはかなり高価だったため、主にお金持ちの子女が購入していたようだ。
 発行部数は800部とされているが、戦火などを経て現存しているものの数は少なく、今ではかなり入手困難になっている。だが、当時の出版文化や風俗を知るためには貴重な資料だ。

「竹久夢二展」展示風景 婦人グラフのための木版画
「竹久夢二展」展示風景 (上の段の左から「夜の化粧」(書籍「路地の細道」大正8年)、「舞妓」(「路地の細道」大正15年)、「眉を描く女」(「路地の細道」大正15年)ーすべて木版画。(中段の左から「夏の宵」(「路地の細道」大正8年)、「懊悩」(「路地の細道」大正15年)、「更けゆく秋の夜」(「路地の細道」大正15年)  
竹久夢二「夜の化粧」木版画

 竹久夢二は1884(明治17)年、岡山県に生まれた。実家は造り酒屋だった。明治34年、夏、画家になる決意を固めて、家出して上京する。
 明治38年、「中学世界」に「筒井筒」という作品が一等入選、初めて「夢二」を名乗ることに。
 明治40年に、たまきと結婚。たまきをモデルに「夢二式美人」と呼ばれる美人画を展開。読売新聞社に入社し、時事スケッチを担当。
 明治42年、たまきと協議離婚。大正3(1914)年、日本橋呉服町に「港屋」を開店、笠井彦乃と知り合う。大正5年、港屋が閉店。大正6年、彦乃とともに北陸の温泉に滞在。
 大正7年、夢二病に倒れる。東京に帰り、菊富士ホテルに移る。翌年の春からお葉をモデルとして菊富士ホテルに通い始める。
 大正9年、彦乃永眠。23歳だった。大正14年、「婦人グラフ」の仕事を始め、大正15年まで続く。昭和6年、渡米。翌年ヨーロッパへ出発。
 昭和8年、台湾に赴くが、身体を壊して帰国。
 昭和9年9月1日、「ありがとう」の言葉を残して永眠。享年49。

 「竹久夢二展」では同時に「おすすめ作家展ー藤田嗣治、フジ子・ヘミング他ー」を開催している。

フジ子・ヘミング「お江戸でござる」シルクスクリーン  
フジ子・ヘミング「ダンゴ君」木版画

 開館時間は午前10時半から午後6時まで。ただし最終日は午後3時まで。ギャラリー「クラブハウス」の連絡先は049-222-0509。メールアドレスはcrabhouse@kamiya.biz

 
 
 

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