見出し画像

「天安門、恋人たち」を観た

 この映画はタイトルに「天安門」が入っているが、天安門事件をド真ん中に据えた作品ではないように思われた。むしろ、この作品は男女の恋愛を軸にした複雑な人間模様を描いたドラマだと感じた。
 1989年6月4日に天安門事件と称される民主化を求める学生など市民が武力弾圧されて多数の死傷者が出た事件の前、学生たちは学園生活を謳歌し、西側の「君の瞳に恋してる」や「ミッキー」といった歌に合わせて踊るなど、明るく楽しい時間を過ごしている様子が描かれる。
 そして、天安門事件が起こる。実写フィルムも使われていた。この映画ではその事件の前後で学生たちの心がどのような変化をきたしたのかを浮かび上がらせようと試みているのではないか。
 中国と同時に、途中から主要舞台として登場するベルリン。1989年にベルリンの壁が崩壊。91年にはソ連邦が崩壊し、東西冷戦が終結する。ここでもその歴史の転換点を挟んでの人々の心模様の変化を見ようとしているのではなかろうか。つまり中国とベルリンの2ヵ所で同時にだ。
 その映画ー「~天安門、恋人たち~」(2006年/中国・フランス/ロウ・イエ監督)を2024年6月3日(月)、アップリンク吉祥寺で観た。午前遅くからの部だったが、ほぼ満員だった。
 映画とりわけ外国映画というのは外に向けられた「窓」だと思う。映画を通して、他の国でも自分たちと同じような人たちが暮らしており、同じようなことに笑ったり涙したりしていることが分かるからだ。
 この映画は1987年に始まる。北朝鮮国境近くの村だ。学生生活が描かれている。翌88年、北京の北清大学に舞台は移る。この大学に主人公ユー・ホンが入学するからだ。彼女には恋人チョウ・ウェイが出来る。
 楽しいキャンパス・ライフが訪れる。

ユー・ホン(左)とチョウ・ウェイ


 89年春だろう、同大学の学生たちが天安門に行ったという。言葉による説明はないが、横断幕に中国語で「民主化を進めよ」と書かれているように、89年4月半ばに改革派の代表格だった胡耀邦前総書記が死去したことで市民たちの政府(共産党)への不満が噴き出したのである。
 背景には、最高指導者・鄧小平氏による改革開放政策によって経済が発展をみせる一方、政治面では一向に自由化が進まなかったことがある。また、87年に胡耀邦氏が総書記を解任されていたこともあった。
 89年5月に北京でアジア開発銀行(ADB)の総会が予定されていた。民主化を求める学生たちは彼らの要求をその国際会議のタイミングにぶつけることで対外的に訴えるいい機会ととらえていたのかもしれない。
 個人的な話になるが、私はその北京でのADB総会を出張して取材するはずだった。しかし、その前月のワシントンでのG7大蔵大臣(財務大臣)・中央銀行総裁会議に急遽行くことになり、北京行きはなくなった。
 もし、北京に滞在していたら、ちょうど盛り上がりを見せていた民主化要求運動を目にする機会があったかもしれない。そう、歴史の一ページー悲しい事件となるがーの現場に立っていたかもしれないと思うことがある。
 話を映画に戻す。北清大学の学生たちがトラックに分乗して天安門に向かうが、政治的な要求をしようという顔つきというよりは、どこかイベントというかお祭りに参加しているかのようなノリで描かれる。
 そして6月4日未明。発砲音が聞こえ、学生たちは散り散りに逃げ惑う。主人公も恋人も逃げ惑う。大混乱のなか、軍用車が燃え盛り、それにモノを投げつける学生たち。途中、実写フィルムも織り込まれる。
 その場面が一転すると同年秋の大学での軍事教練の場面となる。今まで警官や軍に対して抵抗していた学生たちが、今やお国(共産党)のために軍事教練を受けているのだ。この対比の見事さ、そして怖さ。
 そして主人公ユー・ホンは恋人の浮気を知り、精神的に変調をきたす。そして二人は別れる。元恋人となったチョウ・ウェイはユー・ホンのルームメートだった女性と一緒になり、ベルリンに発つ。

映画のポスター


 ここからは歴史の流れを追ってやや早回しとなる。90年、東西ドイツ統一。91年、ソ連崩壊。92年、南部の経済特区・深圳のシーン。95年、主人公ユー・ホンが赴く武漢。97年、香港の中国への返還。さらにいくつかの場面を経て、99年、再び武漢・・・
 そしてベルリンから帰国した元恋人とユー・ホンが再会する。二人は言葉が出てこない。沈黙が支配する。結局は、「お酒を買い」に出たはずのユー・リンは戻って来ない。黙って去ってゆくのだ。
 ユー・ホン、チョウ・ウェイをはじめとした登場人物たちが激しく求めあうセックス場面も含め、複雑な男女関係が執拗なまでに描かれている。
 これはおそらく「生と死」ということを浮かび上がらせたいがために、「生」の営みである性愛をしつこく描き、その反対あるいは地続きにある「死」をも捉えてもらいたかったからではないか。
 これは天安門事件、ベルリンの壁崩壊を挟んで、その前後で人々の心のありようがどう変わったのか、変わらなかったのかを静かに語りかけようとしするために、複雑な人間模様を激しく描いたのではなかろうか。
 この作品は2006年のカンヌ国際映画祭に出品されたが、検閲を完了しないままに上映したため(画像が暗かったこともあり)、再度修正をして作品を再提出するようにと中国当局から求められた。
 だが、結果的に検閲をせず、外国映画祭で上映したことで、この作品は中国国内で上映禁止となり、ロウ・イエ監督は5年間の表現活動を禁止する処分が下された。だが、映画は世界中で上映されて、高い評価を得ている。
 またこの映画の評判を聞いた中国の観客たちも様々な手段を用いてこの作品を観て支持をしているという。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?